わたしの財産といえば、やはり人ですね。1冊の本を書くのに、50人以上は取材しなければいけません。作品が増えれば増えるほど、情報源……つまりお世話になった人たちも増えていきます。キレイごとではなく、小説というのはたくさんの人たちに支えられないと、書けないものなんですよ。だから自分は、作家というよりもアンカーという感覚が強いですね。
もちろん自分の頭の中でストーリーを考えているのですが、原稿がうまく進まないときには編集者や事務所のスタッフから「こうすればいいのでは」というアドバイスをもらいます。そのちょっとしたやりとりで、ストーリーが変わっていきます。なので「人からバトンをいただいて、最後に自分が作品を書いている」――こうした感覚は年々、強くなっていますね。
なぜ小説家になったのか? とよく聞かれます。わたしは自分が気付いたことを人に伝えたいという思いが強いんですよ。そして面白い小説ができたときには、「これ面白いでしょう?」と伝えて回りたい。例えば原子力発電所は本当にこのままでいいのか? と思ったら、取材をして、さまざまな情報を入手します。しかしそのまま書いても分かりにくいので、小説という虚構の世界で、「これって問題だと思わないですか?」と言いたいんです。
わたしは小説を書いていますが、ひょっとしたら新聞記者と紙一重のことをしているのかもしれません。新聞記者というのは、事実を積み上げていかなければいけません。しかし、その事実をフィクションにすることで「ほら、ここの核の部分を見るべきではないでしょうか」と訴えていきたいですね。その核の部分というのは「怒り」であったり、「励まし」であったりすることが多いですね。
特定の人物や企業の善悪を問うようなことを書きたいとは思いません。例えば問題のあるヒトがいても、それだけで社会というのは成立しません。にもかかわらず成立しているのは、社会が認めてしまっているから。彼らだけがヒドイのではなくて、そうした土壌はみんなが作っている。なので、人のせいにするということはとても怖いこと。小説では「もう言い訳をするのは止めよう」「人のせいにするのではなく、自分たちが踏ん張らないと、この国は滅びるかもしれない」といった思いを込めて、書いていますね。
人に生まれてきて良かった――。いや、悪かった――。こうした議論はするものではないと思っているんですよ。せっかく生まれてきたのだから、人はその証を残して死んでいくべきではないか、と。わたしにとって、生きている証は「小説」なのかもしれません。いや、それしかありませんね。(本文・敬称略)
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