『ハゲタカ』の著者に聞く――なぜ小説家になったのか?35.8歳の時間・真山仁(2/5 ページ)

» 2010年07月16日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]
フリーライター時代の真山氏

 新聞記者をしていたので「事件を扱う週刊誌や月刊誌では書かなかったのですか?」と、よく聞かれました。ただフリーライターになったとき、「警察に関係する仕事はしない」と決めていました。なぜなら事件記者をしていると、特定のテーマを追いかけなければいけません。そうなると、小説を書く時間がなくなってしまう。また、わたしが新聞記者をしていたのは、わずか2年7カ月。それくらいのキャリアで事件記者は務まらない、ということも分かっていました。

 フリーライターの仕事をしながら、時間を見つけては小説を書いていました。不安ですか? なかったわけではありません。生活は楽ではなかったですから(笑)。ただ「自分は小説家になれないかもしれない」と思ったことはないですね。むしろ「なるしかない」と思っていました。小説家になることが目的ではなく、小説家になることで自分が伝えたいこと、訴えたいことの「場」がほしかった。とにかくその「場」に行かなければ……という思いが強かったですね。

35歳のとき、小説が書けなかった

 35歳のときも、フリーライターを続けていました。仕事は安定しつつあったのですが、その一方で、小説を書く時間がなくなりつつありました。日本経済はバブルがはじけ、北海道拓殖銀行や山一證券などが経営破たん。原稿料も値下がりしていたので、記事本数をこなさないと食べることができませんでした。編集者から電話がかかってきて、すぐに取材に行くことも多かったですね。そしてインタビューをして、すぐに原稿を書いて。小説を書く時間がなかなかとれなかったのですが、それでも朝の3時から5時までの2時間は小説を書いていました。

 そのころの睡眠時間は1日に2〜3時間くらい。そのような生活を送っていては「体力がもたない。そろそろ“答え”を出さなければいけない」と、焦りも感じていました。

 振り返ってみると35〜36歳のころは、わたしの人生の中で、一番小説が書けなかったときでしたね。世間は「金融危機」で混乱していましたが、自分にとっては「どうやって生活していけばいいのか」ということで精一杯でした。

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