――14座登ることはどういった意味を持つのですか?
竹内: 意味はない。
ただ、意味がないことが積み重なって、意味を持ってきた。私は14座のうち3座は酸素ボンベを使っている。現在はこういうのは無酸素でやるのが常識になってきている。なので記録的には、あまり大した意味はない。
もともとただの地球の出っ張りであった山に、8000メートルというカテゴリーが誕生し、14座という数字ができて、人がそこに向かっていく。いろいろな国の人達が登山し、エベレストだって世界最高峰になったから、みんながよってたかって登っている。そこにいろいろな歴史が生まれて、ドラマが生まれてくる。……そうすると、ただの地球の出っ張りが個性を持ち始める。そこに人は惹きつけられて、登山をし始める。
例えばエベレストだと、いろいろな人がいろいろな事をやっていて、さまざまなルートで登っている。ある人が「1970年代の誰それの登山はすごかったな。同じルートで登ってみたいな」と思ったりしたとする。そうすると自然と人間が、登山というもので結びつく。
記録という意味では今更なものだが、歴史を振り返ってみると、関わった人など、そのドラマには価値があると思う。私が14座登り切れたのは、山田さん(筆者注:山田昇。14座中9座に登頂。1989年冬期マッキンリー挑戦中に死亡)や名塚さん(筆者注:名塚秀二。14座中9座に登頂。2004年にアンナプルナで雪崩に巻き込まれ死亡)などから、ヒマラヤやエベレスト登山を受け継いできたから。そして通り過ぎていく。受け継いでいなかったら、ヒマラヤには行ってないだろうし、14座も続けていなかったと思う。
自然と人が登山というもので結びついたがゆえに、意味がないものが私にとって意味を持ち始めた。それが登山の魅力だと思う。記録として意味はあるのかと言われると意味はない。でも、想いはある。
――ブログでは分かりやすく楽しく伝えているのが印象的です。面白くしよう、と意図してやっているのですか?
竹内: 面白いから面白いんだと思う。面白くないものを面白くしてもダメ。
昔の登山家がストイックだというのは、あえて、そういう演出をしてきたから。聞かれて、そういう風に答えるとある意味ウケるから。
でもそれは全てではなく、山登りはすごく多面的なもので、必ず危険はついて回る。多面的であるどの部分を見るのか、どの部分を見たいのかを全部ひっくるめた上で、面白いことを面白がってやっている。
登山はスポーツとして特別なことではなく、他にも命が懸かっているスポーツはたくさんある。それをやっている人に「何故やっているの?」と聞いても「好きだから」という答えしか返ってこないだろう。
あそこでしかできないこと、何をしてやろうか――そういうことを考えるのが楽しい。気圧と空気を半分にできる場所って、日本だと筑波大の低圧実験室とかに行かなきゃいけないが、ベースキャンプ周辺はその環境だから、実験室ではできないようなことができる。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング