原発事故の責任は誰にあるのか メディアは追及しなければいけない さっぱり分からなかった、3.11報道(最終回)(1/5 ページ)

» 2012年08月04日 00時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

さっぱり分からなかった、3.11報道:

 2011年3月11日に起きたマグニチュード9.0の東日本大震災。それが引き起こした巨大津波、そして福島第一原発の事故……。首都圏にまで広がった放射性物質に対し、新聞、テレビ、雑誌、Webサイトなどが報道合戦を繰り広げ、分かったことがひとつだけある。それは「よく分からなかった」ことだ。

 原発事故は「戦後最大のクライシス」といってもいい状況だったのに、新聞を読んでも、テレビを見ても、「避難したほうがいいのかどうか、分からなかった」という人も多かったはずだ。3.11報道のどこに問題があったのか。その原因は報道機関という組織なのか、それとも記者の能力なのか。

 大震災と原発報道の問題点を探るために、ジャーナリストとして活躍する烏賀陽弘道氏と、作家でありながら被災地に何度も足を運ぶ相場英雄氏に語り合ってもらった。この対談は、全6回でお送りする。


マスコミが衰退

烏賀陽弘道氏

烏賀陽:「子どもを叱らない親が増えた」というのとよく似たような現象が、新聞社でも起きているのではないでしょうか。「現場から怖い人がいなくなった」とよく聞きます。怖いし、嫌な人だし、いちいち細かくて難物なんだけど、最後のストッパーになっているような人が、整理部や校閲部で必要だったんですよ。

 デスクでもそういう人が必要です。意地の悪いことばかり言うけれども、本当によく読んでる。よく勉強してる。紙面になる前に、記事の疑問点・問題点は必ず口にする。そんな人が職場には必ずいましたが、最近は少なくなったようです。

 なぜそうした人たちがいなくなったのか。年代的、世代的なこともあるのでしょう。「憎まれ役」を引き受ける人が少なくなったのではと思っています。優しくてフレンドリーな「いい人」が増えたけど「嫌なオヤジ」がいなくなった。お友だちのような人は多くなったが、本当の意味で教育してくれる上司が少なくなった。これはよくない。組織の悪いところばかり、硬直化した悪いところばかりが残って、教育機能を失っている。

相場:こうした状況が続けば、どのような弊害が生まれてくると思いますか?

烏賀陽:日本には、米国のようなジャーナリズムスクールがありません。なので大学を出たばかりの素人を、とりあえず初級の記者にする場は、新聞社か通信社かテレビ局しかないんですよね。そこの社員にならないと、初級の情報スキルが得られない。こうした閉鎖性は本当はよくないのですが、とりあえず社員になればよかった。

 ところがそこが潰れてしまうと、あるいはその機能を失ってしまうと、もうどこにもないんですよ。本来はそういう記者のジョブスキルの教育機能をスクールなどに残しておかなければいけないのに、その備えがないまま、現実のマスコミが衰退し始めてますよね。

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