原発事故の責任は誰にあるのか メディアは追及しなければいけない さっぱり分からなかった、3.11報道(最終回)(5/5 ページ)

» 2012年08月04日 00時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]
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何かが変わるかもしれない

烏賀陽:1970年くらいまでは、日本の報道も文学もピリッとしていた時期があったんですよね。何でヌルくなったんだろうと考えてみました。

 丸山健二さんが書かれた『まだ見ぬ書き手へ』(朝日文芸文庫)には、このようなことが書かれていました。日本の文学が輝いていた一時期は、戦争があって、生や死を真剣に考えていかざるを得なかったと。そういう時代だったから、たまたま輝いていたにすぎないと。逆に言えば、現実が途方もない矛盾をかかえて自分たちのところにやって来ると、人間は考えざるを得ないということですよね。

 米国もベトナム戦争があったときは、文学もロックもものすごく良くなる。ところが戦争が遠ざかると、また温くなる。

 東日本大震災を経験して、私たちは何を得たのか? ひとつ期待しているのは、現実に対してシリアスに受け止めている人が、ものすごく増えたことです。ひょっとしたらフィクションもノンフィクションも、ものすごく前に進むかもしれない。例えば、あの生ぬるい記者クラブ報道に国民が我慢できなくなってきている。これはものすごくいいことだと思うんですよね。これだけ大規模に日本人の集合的意識が変わったということは近年なかったのではないか。そこはポジティブに考えているんです。「何かが変わるかもしれない」と思うのはそこからなんですよ。

相場:今ではインターネットで記者会見の様子が見れるようになりました。それを見ている視聴者からは「記者の言葉遣いが悪い」といった指摘がありますが、「そうかなあ。そんなに言葉遣いが悪いかなあ」と思っていました。でも、違うんですね。指摘されて、そこで自分がヘンな人であることが分かった。このことに気づいている記者って少ないのではないでしょうか。

烏賀陽:気づいていないのか、気づいていても何もできないのか。それくらい無能なのかってことですよね。

(終わり)

2人のプロフィール

烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)

1963年、京都市生まれ。1986年に京都大学経済学部を卒業し、朝日新聞社記者になる。三重県津支局、愛知県岡崎支局、名古屋本社社会部を経て、1991年から2001年まで『アエラ』編集部記者。 1992年にコロンビア大学修士課程に自費留学し、国際安全保障論(核戦略)で修士課程を修了。1998年から1999年までニューヨークに駐在。 2003年に退社しフリーランス。著書に『「朝日」ともあろうものが。 』(河出文庫)、『報道の脳死』(新潮社)、『福島 飯舘村の四季』(双葉社)などがある。UGAYA JOURNALISM SCHOOLウガヤジャーナル、Twitterアカウント:@hirougaya

相場英雄(あいば・ひでお)

1967年新潟県生まれ。1989年時事通信社入社、経済速報メディアの編集に携わったあと、1995年から日銀金融記者クラブで外為、金利、デリバティブ問題などを担当。その後兜記者クラブで外資系金融機関、株式市況を担当。2005年、『デフォルト(債務不履行)』(角川文庫)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、作家デビュー。2006年末に同社退社、執筆活動に。著書に『震える牛』(小学館)などのほか、漫画原作『フラグマン』(小学館ビッグコミックオリジナル増刊)連載。ブログ:「相場英雄の酩酊日記」、Twitterアカウント:@aibahideo


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