7月以来、5カ月ぶりに大槌町に行った。『3.11 絆のメッセージ』(東京書店)で取材をした人たちが気になったからだ。
大槌町須賀町のアパートに住んでいた倉本奈菜さんを訪ねると、アパート付近のがれきは片付いていたものの、付近はまだ水がひいていない箇所がところどころにあった。
取材当時に聞いた実家の住所を探した。被災し、仮設の園舎として再開した吉里吉里保育園の近くにあった。吉里吉里でも、がれきはほとんどない。コンビニもプレハブではあるがすでに再開しており、客が多く出入りしている。実家に行くと、倉本さんの父親がいた。倉本さんが住む仮設住宅を教えてもらい、さらに少しだけ震災当時の話を聞くことができた。
倉本さんの父親によると、地震の時、職場のあった沿岸部から離れていたために助かったという。また、直後から停電だったものの、家に自家発電機があったために、電気は使えた。井戸水を利用していたことから飲料水も確保し、親類を避難させていた。倉本さんの家族も実家に世話になっていたという。
実家を後にし、倉本さんが住む仮設住宅へ行くと、みゆちゃん(3)と迎えてくれた。この日は保育園でお遊戯会があったために、少しテンションが高かった。みゆちゃんは、「(10月にやった)運動会とお遊戯会は楽しかったよ」とはしゃいでいた。
倉本さん一家はなかなか仮設住宅の抽選に当たらなかったため、震災後ずっと実家の世話になっていたという。
「一応、落ち着いています。仮設住宅の抽選に当たったのは8月。本当に最後の最後だった。最近は、山田町のスーパーに買物に行っている。釜石市に行くのと同じくらいの距離ですが、混まないので。あとは、仮設店舗ができたので、ちょっとした買い物ならそこに行っています。まだ新しい土地も見つからないので、これからどうしようかと思っています。以前は保育園の助手をしていたのですが、今は仕事はしていません。戻りたいとは思います」
岩手県は、基礎自治体の予算で作った住田町の仮設住宅を除いて、第3次補正予算で希望者には畳を仮設住宅に入れることになっているが、倉本さんは「畳ですか? 入っていないです。そんな情報はありません。防寒対策で、ストーブかホットカーペットかこたつか(選ぶように)というのが来ました。どうしたんだろう」と話していた。仮設住宅の自治会がまだうまく機能していないのか。それとも、自治会にまだ情報が届いていないのだろうか。
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