年越しを迎える被災地、改めて防災教育を振り返る東日本大震災ルポ・被災地を歩く(4/5 ページ)

» 2011年12月31日 08時00分 公開
[渋井哲也,Business Media 誠]

高台移転で意見が割れている石巻市雄勝

いまだに観光バスが屋上に乗っている雄勝公民館

 12月中旬の宮城県石巻市雄勝地区。がれきはほぼ片付いてきた。雄勝小学校前に横たわっていた観光バスもなくなった。しかし、雄勝公民館の屋上に乗っている観光バスはまだある。モニュメントとして残すかどうかの議論もあったが、バスを下ろすことになっているという。

 住民有志で作る「雄勝地区復興まちづくり協議会」は亀山紘市長に要望書を提出している。協議会が7月上旬に実施したアンケートをもとに、「1.災害公営住宅の早期整備と高台への居住地造成」「2.堤防と生活道を兼ねた道路整備」「3.雄勝小、船越小の統合校、雄勝中仮設校舎の建設」「4.雄勝病院の早期再建」「5.漁港の応急復旧」などを要望している。

 ただ、同地区は高台移転について賛否が分かれている。12月10日、市河北総合センターで住民を対象にした意見交換会(石巻市主催)が開かれ、市民約250人が参加。

 市側は「1.安全の確保」「2.短期間での事業着手」「3.災害公営住宅を建てることで、市外への転出者が戻ってくる」というメリットを説明した。しかし、住民の中から市側の提案について慎重にするようにという要望も出た。

 『3.11 絆のメッセージ』で取り上げた、木村颯希くん(雄勝中3年)は、石巻市の市街地内の仮設住宅に住んでいる。震災当時は、父親を除いて、家族4人が市営雄勝味噌作住宅内の家にいた。地震の時は、颯希くんの友達もいた。地震があった後、「津波が来る」と思った颯希くんたちはすぐに母親が運転するクルマに乗り、釜谷峠のトンネルに向かった。しかし、トンネルを抜けると、北上川があるために、トンネルは抜けず、手前に避難した。

 「雄勝はすぐに海がある。だから、地震があったら津波からどう逃げるのかは頭に入る。雄勝に住んでいれば当たり前のこと。小さいころから、津波の話は聞いていますから」

 雄勝小も雄勝中も盛り土された土地の上に立っている。それは過去に津波が来た高さだという。そのため、津波の教訓は当然のこととして受け入れていた。雄勝保育園も避難が早かったというが、雄勝湾の近くに隣接していたために、危機感が強かったのだろうと言われている。

盛り土の上にあった雄勝中。今回の津波はそれをはるかに超えた

 颯希くんは現在も雄勝中に通っているが、同校は石巻北高校飯野川校に間借りしている。颯希くんが住む仮設住宅からクルマで20〜30分かかる距離だ。しかし、颯希くんが住む仮設住宅はスクールバスのルートに入っておらず、毎日、母親が送迎している。そんな木村くんももうすぐ高校受験だ。

「雄勝が大好きだ」と話す木村颯希くん

 「(12月1日に開かれた)三者面談で、やっと受験生の自覚が生まれました。やるだけやってみようと思った。高校に行っても、(中学で部活に入っていた)サッカーを続けるかどうかはまだ分からない」

 また現在、雄勝地区は高台移転の話が出ているが、颯希くんの家はどうするのか。母親の久美さんは「帰るのは怖いですね。町を見ると不安になりますが、復興のニュースは耳を傾けています。ただ、すぐに戻ることはありません。仕事もこっち(市街地)にありますし、今後は子どものことを考えると、高校までの通学費だけみても、市街地のほうが安く済むので」と話す。

 颯希くんも「高校を卒業しても、石巻から離れたくない。雄勝は大好きです。復興のために何か役に立ちたい。雄勝の伝統をなくしたくはない」とは話すが、「すぐには戻れない」という。「でも、いつか雄勝に戻りたい。遊び場はたくさんあった。雄勝は自分の宝」。そう言う颯希くんの目は輝いていた。

 「まずは、受験に合格することが支援してもらった人たちへの恩返しです」

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