1969年、栃木県生まれ。フリーライター、ノンフィクション作家。主な取材領域は、生きづらさ、自傷、自殺、援助交際、家出、インターネット・コミュニケーション、少年事件、ネット犯罪など。メール( hampen1017@gmail.com )を通じての相談も受け付けている。
著書に『自殺を防ぐためのいくつかの手がかり』(河出書房新社)、『実録・闇サイト事件簿』(幻冬舎)、『解決!学校クレーム』(河出書房新社)、『学校裏サイト 進化するネットいじめ』(晋遊舎)、『明日、自殺しませんか?』(幻冬舎)、『若者たちはなぜ自殺するのか?』(長崎出版)など。メールマガジン 「週刊 石のスープ」を刊行中。
5月、被災地の人々の生の声を集めた『3.11 絆のメッセージ』(被災地復興支援プロジェクト)を出版した。
2011年も終わりに近づいている。3月11日に起きた東日本大震災の被災地は復興に向けて歩み出している。
しかし、被災地での課題はまだ多い。地域作りを今後どうするのか。高台移転を含めて地域の合意を得るのは難しい。また、避難所が廃止され、仮設住宅へ移ることができたが、一部の自治体では戸数が足りない。仮設住宅に移ることができても、行政情報が十分に行き届いているわけではない。さらに言えば、今回の震災の教訓を生かした津波を想定した防災教育を学校でどう進めていくのか。課題は山積している。
震災から9カ月目を迎えた12月11日。岩手県釜石市の釜石高校体育館では、毎年恒例の「かまいしの『第9』」の第34回公演が行われた。市民だけでなく、県内外の演奏家、愛好家が参加。その中に、学校が被災した釜石東中学校の生徒たちもいた。
地震が発生した14時46分も演奏は続いていたが、緊張感が漂っていた。そして、防災無線での警報が体育館から聞こえてきた。お客さんの中にも、その警報を聞き、当時を思い出している人もいたようだ。
「津波が来るぞ!」
2009年度から始まった津波教育の担当だった平野美代子教諭は3月11日、地震の直後、職員室からのその声に反応した。地震後は停電していたため、防災無線は入らなかった。ラジオも聞こえない。その声は誰のものだったのか。「釜石の奇跡」と称された東中だが、当初は生徒が危険を感じて自主的に避難したとの話もあった。しかし、実際はどうだったのか。
「誰が言ったのかは分からないですが、私の記憶ではそうなっている。生徒も聞いている。だから、何の情報もなく生徒たちが動いたわけではない」
それまで地震の避難として校庭の一角に生徒が集まっていた。これまでの赴任先の学校は「津波避難場所」であり、「学校にいれば安全」という考えがあった。しかし、この時、恐怖を感じ、これまでの訓練で確認した避難路をたどって逃げ出した。
「防災教育は過去を知る、地域の話を聞く、ということ自体は良かった。ただ、子どもたちが知識を学べば学ぶほど、ここに学校があることの矛盾にぶつかる。それをどう指導させればいいのかというジレンマにぶつかった」
釜石東中は大槌湾から700メートルほどの距離にある。川のそばでもあり、津波が押し寄せると、学校が飲まれてしまう危険性のある場所だ。過去の津波ではJR鵜住居駅付近まで来ていたが、釜石東中はJR鵜住居駅よりも海側にある。生徒から疑問が出るのも当然だ。
「生徒たちの活動で、地域に安否札を配った。顔が見える活動として評価された。しかし、賛否両論があって、『掲げることで家が留守だと知らせてしまうことになる』と防災会議で言われたりしました。それに、掲げても家が流出したら意味がない。『私は迷惑をかけるから、避難しない』という話も聞いたといいます。ただ、生徒の活動があったので、『地震があった時、津波がくるかもしれない』と思って、逃げた人もいたようです」
疑問を抱えながらの防災教育だったが、そのおかげで生徒や教員は無事に逃げることはできた。また、中学生が逃げる姿を見て、隣接する鵜住居小学校の児童たちも逃げることができた。ただ、当日欠席した生徒1人が犠牲となった。
「実は休んでいた3年生の女子がいて、学校にいた同級生にメールを出していた。『大きな地震があったね。私は大丈夫だよ。みんなは避難するの?』といった内容だったといいます。それを受信した子は、学校は携帯電話持ち込み禁止のため、読むことができなかった。もし受けとっていたら、『みんな避難するから逃げて!』とメールを送れたかもしれないと言っていました」
とはいえ、欠席していた生徒を除き、小中学生が助かったことは「釜石の奇跡」としてもてはやされた。いまだに野田武則市長もことあるたびにそのことに触れる。しかし、生徒たちはそうした大人たちの反応には冷ややかだ。
会場に貼られていた釜石東中からのメッセージにもそれはよく現れている。「僕たちは被災者じゃない」「自分たちはもう被災者じゃない」といったものがいくつかあった。また、合唱後に話を聞いた生徒も同じような思いだった。
「奇跡じゃない。ちょっと違うんじゃないか」(3年、山下聖香さん)
「奇跡と言われるけど、多分、当たり前のことをやっていただけ。いつまでも被災者じゃない。いつまでも震災のことに触れたくない」(1年、菅原佳恋さん)
「海の近くだったけど、みんな逃げることができた。でも、それは当たり前のこと」(3年、川崎杏樹さん)
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