年越しを迎える被災地、改めて防災教育を振り返る東日本大震災ルポ・被災地を歩く(5/5 ページ)

» 2011年12月31日 08時00分 公開
[渋井哲也,Business Media 誠]
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仮設住宅が不足している女川町

 宮城県女川町は、平成の大合併をした石巻市に囲まれている地域だ。市街地から沿岸部を抜けて雄勝地区に行く途中に女川町がある。高台になっている町立女川病院から見下ろすと、がれきはなくなっているものの、津波によって倒されている建物を見かける。4階建ての建物が根こそぎ地面からはがされ、横倒しになっている。建物の向きも違っていることから、津波の強さや流れを検証することに役立つとの意見もあり、町では保存を検討している。

横倒しになっている建物

 女川町は土地が狭いために、仮設住宅も2階建てや3階建てが認められている。それによって、不足した住宅を補っているのだ。しかし、それでも住宅は足りない。女川町民は原則として隣接する石巻市の仮設住宅には入れないという。そんな世帯が30世帯近くあり、空き待ちの状態だ。

2階建て、3階建ての仮設住宅

 主婦の高橋一枝さんもその1人だ。震災当時、女川町で子どもと2人で住んでいたが、その住宅が津波で流された。しかし、仮設住宅には当選しなかった。

 「町に聞くと、『もう仮設住宅は作らない』と言います。かといって、(隣接の)石巻市の仮設住宅にも入れないといいます。『誰かが出ていくのを待つしかない』と言われました。中には、仮設住宅に当たっても、鍵をとりに来ない人もいるんです。『その部屋があって空いてるのにな』って思うんです。家が流されたために倉庫代わりに使うなど、いろんな事情があるとは思いますが、何でなんでしょうね? と思ってしまいます。私の実家も被災していて、工事が終わらないと、母親が1人で住むのが精一杯です」

 「みなし仮設住宅」として適用される民間の賃貸物件も、石巻市も東松島市もすでに空きがない。仮設対応をしていなくても空きがないという話もある。そのため、現在は、元夫の実家である石巻市内に住んでいる。

 「『もし、トラブルがあって住めなくなった場合はどうするのですか?』と町に聞きました。町の職員は『ああっ』と言うだけで、何も答えませんでした。それどころか、前の夫と住むことになるために、『住んでいるところに男性がいる』という理由で事実婚とみなされたんです。町では世帯が別と理解を示してくれたのに、県が認めませんでした。そして母子手当ても切られました」

住んでいた家があった場所。仏壇の一部を見つける高橋さん

 県外に行くべきなのか――。仮設住宅も入れず、仕事もない。そういう人は仕事のある地域に行くべきだという声もある。

 しかし、高橋さんは「先祖のお墓がある。だからほかの地域には行きたくない。そういう人はたくさんいます。私も継ぐ立場なので、仙台とかも行けない。一時的に離れても、子どもが保育園に入れるかどうかも心配です。知人の話では、他の市に移ったが、保育園に入れず、幼稚園に入れてるというんです。そうすると、お金もかかる」と悩みは多い。

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