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» 2011年10月28日 02時10分 UPDATE

「分からないものが一番いい」――秋元康氏のAKB48プロデュース術 (1/7)

コンテンツ業界で長らく活躍し、この度、AKB48をヒットに導いたことからASIAGRAPH 2011で創賞を受賞した秋本康氏。数々のヒットを生み出した秋元氏のプロデュースの秘密とは何なのだろうか。受賞講演で語った内容を詳しくお伝えする。

[堀内彰宏,Business Media 誠]

 秋元康氏ほど、長くにわたってマルチな活躍を続けている人は珍しいだろう。

 高校2年生から放送作家としての活動を始め、フジテレビの『夕やけニャンニャン』でおニャン子クラブをヒットさせ、その後も『とんねるずのみなさんのおかげでした』などの人気番組に多く関わる。放送作家以外にも、故美空ひばり氏の『川の流れのように』の作詞を行ったほか、映画『着信アリ』やマンガ『ナースエンジェルりりかSOS』の原作も担当した。

 そして今、秋元氏の活動として最もよく知られているのが、AKB48のプロデュースだろう。秋葉原の小劇場を中心として2005年末に立ちあがったユニットを数年かけて育て上げ、複数枚買いも含まれているとはいえ、CD不況のご時世で数度のミリオンセラーを達成している。また、シングルのセンターを決めるための“総選挙”や“じゃんけん大会”は社会的な注目も大きく集めた。

 その活動が評価され、秋元氏はASIAGRAPH 2011で創賞を受賞。受賞後のトークセッションでは東京大学の河口洋一郎教授とフリーアナウンサーの西村知江子氏を聞き手に、秋元氏がそのプロデュースの裏側を語った。

※この記事は10月21日に行われたASIAGRAPH 2011 創(つむぎ)賞受賞記念トークセッション「巨大コンテンツ市場に挑む秋元康の戦略」の内容をまとめたものです。
ah_aki1.jpg 秋元康氏

毎日見てもらったら、コンテンツとして成長するのではないか

西村 毎日お忙しいと思うのですが、ここ1カ月間の1日の平均睡眠時間はどのくらいですか?

秋元 もともと、あまり寝ないんですよ。17歳で放送作家になってから、あまり変わっていないですが、多分今は3〜4時間くらいだと思いますね。面白そうなことがあると、眠いというより起きていたいという……除夜の鐘を聞きたい子どものようなものだと思うんです。

西村 年齢的にももう50歳を超えていますが(秋元氏は現在55歳)、いつまでもそういう気持ちというのはうらやましい限りですね。秋元さんは放送作家からスタートして、作家として小説も書いたり、映画監督をやったり、もちろんプロデューサーや作詞家としても大活躍しているのですが、今はやっぱりAKB48ですかね。

河口 そうですね。秋元さんはずっとクリエイティブにやってきたじゃないですか。日本から世界に発信できる数少ない1人なんですね。しかも、秋元さんの場合はそのスピードが全然衰えない。さっき年齢を重ねてと言いましたが、それが全然見えないくらいに元気なところがあって、10〜20年前からパワーが落ちていなくて、逆に加速しているというのがありますね。経済産業省では、最も日本を代表しているパワフルでクリエイティブな方に創賞を贈るのですが、今年は秋元さんが、AKB48で稼いでいて、しかも現在進行形で行っているということで、一番賞に値するということで決まりました。

西村 AKB48の「会いに行けるアイドル」というコンセプトは、今は有名な話になっていますが、秋元さんが思いついたのはどういったことからですか?

秋元 もう結果論ですよね。例えば何かがヒットすると、「あの時はこういう気持ちでした」「こういうことを考えて」といつも言うのですが、だいたいそれは後付けのような気がするんですよね。

ah_aki2.jpg AKB48公式Webサイト

 AKB48は2005年12月8日にスタートしました。そのころの気持ちを思い返すと、ずっとテレビとかラジオの仕事をしてきたので、実際にどのくらいの視聴者、聴取者が見たり聞いたりしてくださっているのかが分からなかったんです。一方、小劇団の公演や、ロックバンドが小さなライブハウスからどんどん大きい公演に変わっていくさまを見ていると、「目に見えるお客さまというのはやっぱりすごい力があるな」と思ったんですね。

 ですから、初めは「劇団を作りたい。小さなところから劇団を初めて、少しずつ大きくなっていくのを見ていたい」という気持ちでした。そのうちに「非常に実験的ですが、とにかく毎日やりたい。毎日見ていただいたら、それはコンテンツとして成長するんじゃないか」となりました。

 原宿や青山や渋谷で劇場の候補地を探したのですが、いい場所がありませんでした。たまたまその当時、秋葉原が人気の場所になっていて、「じゃあ、秋葉原面白いかもね」という話をしていたら、たまたま「ドン・キホーテの8階が空いている」という話があったので、「そこでやろう」となりました。

 ただ、そこで毎日毎日お芝居をやるのは、さすがに難しいかなというのがあったので、歌とダンスのレビューみたいなものにしようと。「クレイジーホース」や「ムーランルージュ」のようなものをやろうと思っていたのですが、「どうせやるんだったらアイドルの方が面白いんじゃないか?」ということで、だんだんそういう形になっていったんですね。ですから初めから狙ったかのようなことではないと思います。

西村 第1期生のオーディションをする時には、すでにアイドル志向だったということですが。

秋元 オーディションでメンバーを集める時は、アイドルにしよう、そして毎日公演をやると決めていました。

 今までのアイドルは、毎日テレビ局やラジオ局などいろんなところを行ったり来たりで、コンサートもあったりして動いているので、“追っかけ”というファンの人たちは追いかけていたわけです。でも、「そんなことをしなくても、定時になったらここにいますよ」というアイドルが面白いんじゃないかと。それが「会いに行けるアイドル」という言い方になったんですね。

河口 僕は北京でAKB48を拝見しました。当時、女子十二楽坊のような感じが受けていた時に、北京でやったのですが、会場のお客さんが圧倒されて、唖然としてしまって、僕のような者でも見た瞬間に、成長するパワーというのをすごい感じたんですね。

秋元 まだスタートしたころに北京で何か1つの兆しのようなものを感じたのは、初めてAKB48を連れて行った時のことです(2007年9月)。空港やホールにファンがいたんですよ。まだ少なくて、20人くらいでしたが。

 その方々に「何でAKBを知っているんですか? 日本でご覧になったんですか?」と聞いたら、みんなネットで見ていたんです。何か写真なんかも持っていたんですよ。それで、「ああ、新しい時代なんだなあ。もしかしたら、こういうことがもうちょっと広がっていくのかな」とその時に思いました。

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