コラム
» 2010年10月19日 08時00分 UPDATE

松田雅央の時事日想:ベルリンの壁崩壊から20年……その後の姿に迫る (1/4)

1990年10月のドイツ再統一から20年が経過した。「ひとつのドイツ」は東西ドイツ国民の悲願であったが、当時の国民と政治家が描いていた統一ドイツはいまだ実現していない。今回の時事日想は統一ドイツのその後に迫った。

[松田雅央,Business Media 誠]

著者プロフィール:松田雅央(まつだまさひろ)

ドイツ・カールスルーエ市在住ジャーナリスト。東京都立大学工学研究科大学院修了後、1995年渡独。ドイツ及び欧州の環境活動やまちづくりをテーマに、執筆、講演、研究調査、視察コーディネートを行う。記事連載「EUレポート(日本経済研究所/月報)」、「環境・エネルギー先端レポート(ドイチェ・アセット・マネジメント株式会社/月次ニュースレター)」、著書に「環境先進国ドイツの今」、「ドイツ・人が主役のまちづくり」など。ドイツ・ジャーナリスト協会(DJV)会員。公式サイト:「ドイツ環境情報のページ


 1990年10月のドイツ再統一から早くも20年。その前年1989年11月にドイツ分断と冷戦の象徴である「ベルリンの壁」が崩壊すると、東ドイツの崩壊も加速度的に進み、コール首相(西独)、ブッシュ大統領(米国)、ゴルバチョフ書記長(ソ連)ら各国首脳の思惑を遥かに上回るスピードで再統一へと突き進んだ。「ひとつのドイツ」は東西ドイツ国民の悲願であり、わけても疲弊した生活と抑圧から解放された東ドイツ国民の思いにブレーキをかけることは誰にもできなかった。

 しかしながら、当時の国民と政治家が描いていたバラ色の統一ドイツはいまだ実現していない。統一前、西ドイツは東ドイツ経済を「手直しが必要」と考えていたが、実際のところは「手の施しようのないほど悲惨」だった。旧東ドイツのインフラ整備は急ピッチに進んだものの、瓦解した旧東ドイツ経済の建て直しは容易でなく失業率も12%を超え高止まりしたままだ。

 →ドイツ人は戦争という過去と、どのように向き合っているのか?

yd_matu1.jpg ドイツの象徴ブランデンブルク門。ドイツ分断、そしてベルリン分断により無人地帯となっていたが、現在は観光名所として人の姿が絶えることはない

モニュメントとして残る壁

 ベルリンの壁はそのほとんどが撤去され、現地に残るのはごく一部に過ぎない。壁と数十メートル幅の無人地帯は道路となり、ビルが建ち、今では壁があった場所を判別することさえ難しい。

 生まれ変わったポツダム広場の一角にもベルリンの壁が一部置かれている。広場を整備した際、モニュメントとして元あった位置に1ブロックだけ戻されたもので、信号待ちの市民が興味深そうに見入っている。

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