年収7万円の男が、プロの編曲家になるまで――制作プロデューサー・高野康弘さんあなたの隣のプロフェッショナル(3/4 ページ)

» 2009年09月25日 10時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

順風満帆な日々、しかし

ロズかまのライブ風景

 及川さんの楽曲のアレンジの仕事は、ずっと継続してやっていたのだろうか?

 「ええ、それはずっとやっていました。彼だけでなく他のアーチストも。例えばSMAP、大槻ケンヂ、Janne Da Arc(ジャンヌダルク)など。あと、イオンやNTTドコモなどのCMの音楽制作もしていました。1990年代の後半は、音楽業界が元気でしたから、その分だけお金も入りましたね」

 自宅と録音スタジオを往復する生活が続いた。しかし、そんなある日、ちょっとした事件が起きる。

 「あるアーチストからこんなことを言われたんですよ。『高野さんはいいよね。スタジオで音を作っていればいいんだから。でも、俺たちは全国を回らないといけない』って。

 この言葉を聞いたとき、ものすごくショックでした。それで、自分でバンドを作り、活動を開始したんです。それまでは、どのくらい大きな規模で人に伝えられるかを競争していたんですが、それに疲れてきていたというのもあったと思います」

 では、具体的にどうしようと?

 「“行列のできる小さな店”みたいな感じでできないかなって思ったんです。すでに32歳になっていましたが、またピアノを始めました。そのバンドで全国のライブハウスを回りました。お客さんの素直な感動が伝わってきて嬉しかったですね」

 こうした音楽活動は、すべて本業と両立させていたという。それには奥様のご協力も欠かせなかったのでは?

 「もちろんです。私が何か冒険をするときは、たいてい経済的・社会的に危ない橋を渡っているので(笑)、妻の協力は欠かせません。特に情報共有は大事にしています。例えば、お金があってもなくても、金銭についての隠し事は一切しないようにしています」

 バンドとして、その後、ニューヨークに招待されたり、カナダに行ったり、活動の幅もずいぶん、広がったようだが。

 「マス相手の商業的なものでなくても、『楽しい』というキーワードでやれるようになりました。また、それなりに利益も上がりますし」

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