因縁の地で“優しい男”は何をしたのか? インドネシア味の素 山崎一郎さんひと物語(5/5 ページ)

» 2009年04月20日 07時00分 公開
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社会人大学院で学んだもの

 山崎さんはインドネシアに赴任する前、グロービス経営大学院に通っていた。いつごろ、何を学ぶために社会人大学院に通っていたのだろうか。誠編集部では本記事の再掲にあたって、山崎さんにいくつか質問をしてみた。

――社会人大学院に行ったのは何歳から何歳のときでしたか?

 36歳(2003年4月)から39歳(2006年3月)です(2005年4月に論文のみ残してインドネシアに赴任。2006年3月に論文修了)。

――どういう経緯、きっかけで社会人大学院へ行くことにしたのですか?

 当時の年齢を考え、40歳を1つの区切りとしてその前にやっておくべきことの中で高い優先順位として大学院を選択しました。(グロービス経営大学院の)堀学長がおっしゃっていたように、自分も「可能性を信じる」と言い切れる自分になりたかったのです。たまたま単独科目を既に数科目受講しており、ほかの学校に行くよりも時間、質ともに最大のチャンスと感じました。

 また当時の自分は、経験だけでは抜けきれない仕事の壁を感じていました。労働組合という組織で企業経営者とやりとりをする機会が多かったのですが、現場の話だけをしてもなかなか説得力がないことを痛感。残りの会社生活は必ずしも現場で実務を担当できる場所ばかりではなく、徐々に役職が上がるに従って、マネ−ジメントの立場になることは多いと感じたので、そのためのスキルの必要性を強く感じていました。

――何を学びたいと考えて社会人大学院を選びましたか?

 いわゆる経営のスキルを広く学びたいと感じていました(特に自分に関係のなかった財務や会計など)。ほかの学校は全く選択肢として考えていませんでした。なぜなら(1)グロービスで勉強できる中身に満足していた、(2)転職によるステップアップを強くは望んでいなかった、(3)「仕事は成果が勝負」と思っているので、現場で成果を出すことが一番重要だと思っていたのです。

――実際にどういうことを学びましたか?

 実際に役に立っているのは、思考面ではクリティカルな思考、姿勢面では経営者のとるべき態度、心の持ち方などです。あとは多面的に考えることの重要性を感じました。

――そこで学んだことは、卒業後/現在の仕事にどのように結びつき、生きましたか?

 まず労働組合から会社に戻る際には、「味の素グループの側面から、グループ全体の価値向上を目指せる業務に全力を尽くす」と決めました。希望としては、(1)会社経営のマネージメントができる業務(海外、関係会社)、(2)将来分社独立の可能性がある新事業への参画、(3)人材育成に携わることができる、業務の3つを希望しました。

 そのほか、自分の中では大切にしている価値観を実現できる場をイメージしました(例えば「常に進化していたい」「ゼロからプラスではなく、マイナスからゼロへ」など)。その結果として、恐らく労働組合時代に副委員長という立場で組織を引っ張る場所にいたことに加え、経営を勉強しているというところから、海外での勤務を命じられたのだと感じています。

 現在はインドネシア法人で副社長にあるが、組織マネージメントするに当たり、常に2つの面を考えるようなスタンスが取れるようになった(メリット/デメリット、経験から/理論から、内/外など)。しかしながら、まだまだ未熟です。

ひと物語

ひと物語はグロービス受講生や卒業生を取り囲む風景や現実を追い、ビジネススクールで培った知恵と羅針盤を手に、少しずつ歩みを重ねる姿をレポートする連載企画です。

※本記事は、GLOBIS.JPにおいて、2008年12月19日に掲載されたものです。ひと物語の記事はGLOBIS.JPで読むことができます。


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