因縁の地で“優しい男”は何をしたのか? インドネシア味の素 山崎一郎さんひと物語(3/5 ページ)

» 2009年04月20日 07時00分 公開
[GLOBIS.JP]

モノでなくヒトの生き方を見つけた

 平均的な“サラリーマン”からみれば、少し異色の経歴かもしれない。それはずっと自分の中の違和感を大切にしてきた、証でもある。

 早稲田大政経学部では、周囲の学生がバブルに浮かれる中、夏休みには、長野・菅平でレタスの収穫のアルバイトで汗を流した。労働して、現場で働いて、結果が収穫になることがとても気持ちが良かった。経済学の著名な教授のゼミに在籍しており、同期が次々と人気の高い金融機関に就職を決める中、「派手なものはどこか違う。生活に身近なビジネスをしたい」と、味の素を選んだのも、自分らしい。

 社内では、入社以来5年間外食用営業、その後、本社マーケティング担当として、かまぼこやハムなどに使用する大豆たん白製品、業務用の油脂製品などを担当した。研究、製造、営業までトータルでコーディネートする新製品開発にも取り組んだ。でも、自分が開発した商品が全国的に売れても、不思議と心のそこから喜びを感じない。「このままでいいのか」。自問自答する中で、当時の本社支部長から誘いを受けていた労働組合で、専従組合役員になることを決めたのだった。

 ほかの企業では組合が“出世コース”のこともあると言われるが、味の素の組合には、決してそんな華やかさはない。大部屋にたった2人が、席を構える。

 専従の本社支部長としては最長の5年間、社員と組織を裏側から見守った。旭川から1日3本しか電車がないところまで、組合員の家族の葬式に出向く。借金を抱えた組合員と一緒に返済計画を作成し、毎月チェックした。病気を抱える家族がいる組合員の相談に乗ったり、職場での悩みを泣きながらしゃべる組合員の相談相手になったこともある。

 従業員の家庭事情に触れるたび、皆、会社では普通の顔をして机に向かっているけれど、さまざまな背景を抱えながら仕事をしているんだと、痛感した。

 「社員を仕事としてサポートしているうちに、この仕事が自分の生き方、価値観とフィットしているなあと感じるようになりました。自分が関心があるのはモノではなくて、ヒトなんだと気づいたんです。人間つらいことがあっても、支えあう仲間がいると、また浮上できる。会社って最近はドライなところになりがちだけど、皆が支えあうような組織にしたいですよね」

 理想の組織への想いが募ると、それを1つの提案にまとめ上げて、経営陣に納得させるだけのスキルがないことに気付いた。「ふだんは文句ばかり言っているくせに、公式の交渉場所では経営者の方々に全然かなわないなと思いましたね。やっぱり現場を知っているだけじゃだめだと。経営のスキルみたいなものを身につけないと同じ土俵に立てない」

 ビジネススクールに通い始めたのはそのころだ。数々のケーススタディーをこなしていくうちに、事実の羅列をグルーピングし、そこから何が言えるのか考える頭の使い方が身についた。

 「正直、こんな場所があることに純粋に驚きを感じました。自分は全く武器を持たずに今まで仕事をしていたんだということがよく分かりました。自分に足りないものを痛切に感じているときだったので夜間スクール通いも何とか継続できたんだと思います」

 組織と人に対する熱い想いと、経営を俯瞰(ふかん)する眼を養った。インドネシアで組織作りに携わることは、自分の想いを実践の場で生かす、最高の舞台だった。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.