藤沢さんは、今、新しい課題と向き合っている。
「私は、ベンチャー企業の経営者の女房役、あるいは現場とのパイプ役としてサポートしてきました。でも最近、それだけで本当に良いのだろうか、という思いにとらわれています。かつての私の仲間たちを見ても、10人以上が上場企業の社長になってはいますが、果たして、社会の要請に応えているだろうかというと、正直、疑問があります。イノベーションを起こしていない、上場して満足してしまっているのではないかと感じるんですよ」
藤沢さん自身、ならびにかつての仲間たちに対するそうした問題意識に対する何らかの対応策はあるのだろうか?
「まだ方法論は確立できていないのですが、経営者が『哲学』を持つようになることが必要だと考えているんです。コストカットは語れても新しい世界観は語れないというのではいけないと感じています。
経営というものは、既存の富の再分配システムであってはならない。あくまでも新しい価値の創出システムであるべきだと私は考えています。そういう意味でも、そのベースとなるべき確固たる『哲学』が必要だと思うんですよ」
そういう「哲学」をもったリーダーたちとして期待されるのは、やはり若い人々なのだろうか?「ハイ、20代の人々が中心になるでしょうね! その点では私はずっと一貫しています」
宮崎県の幸島で観察され、広く知られるようになった「100匹目の猿」という現象がある。ある猿がサツマイモに海水をつけて食べるという珍しい行動をとる。それを見た猿たちがまねをし始める。その数が一定数(しきい値)を超えると、地理的に離れた場所でも猿たちが海水をつけてイモを食べるようになったという。
このことから、ある一定数以上の人々が、イノベーティブな行動を取り、それが閾値を超えると、社会全体のイノベーションへと進むと考えられている。
藤沢さんが目指している若い経営リーダーの育成は、まさしく日本社会全体に「100匹目の猿」現象を起こそうとするものだろう。
第2次大戦敗戦後の日本では、GHQによる公職追放令で、財界の主だった経営者層は退陣を余儀なくされた。そのため、それまでミドル・クラスだった若手・中堅たちが経営を担うこととなり、彼らが戦後日本の産業界の復興を支えたのである。直木賞作家・源氏鶏太氏の『三等重役』(1951年)は、それを描いたヒット作であるが、藤沢さんが実現を目指すものは、さしずめ「平成の三等重役」であろうか。
「マネジメントというものは、基本的に内向きのものです。それに対して、リーダーシップは人跡未踏の荒野へと向かっているもので、そこへと飛び込んでゆく勇気が必要だと思うんです。
勇気を持って飛び込むことで周りがついてくる。そうやって自然に周りがついてくる人こそがリーダーなのであって、リーダーシップとは、周りがそう呼ぶだけのことなんだと思います。要は、人跡未踏の荒野へ飛び込んでゆく勇気が持てるかどうかということ。これからの日本社会には、そういう機会が多々出てくると思います。そうなった時にいつでもバッターボックスに立てるように、若い人々には、常日頃からイノベーティブな経営センスや経験を身に付けておいてほしいんです」
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