1人シリコンバレー創業プロジェクト、そして――藤沢烈さん(後編)あなたの隣のプロフェッショナル(2/5 ページ)

» 2009年03月07日 05時40分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

 活動に没入した藤沢さんは、大学4年になる年(1997年)から3年間、休学する。「この時期は、今考えても異常なまでのパワーがありましたね。全国各地の3000人くらいの人々と会ったと思いますよ。自分たちの世代なりの新しい価値観を創出して世の中を変えてゆこうという話になって、出会いと交流のためのサロンを開設し、私自身、店長を務めました」

 「人と人を結びつけることに自分のオンリーワンがあると感じていました」という藤沢さんだが、それは実はとても難しい。出会いを通じて、お互いの卓越した部分が化学反応を起こし100×100=1万になるのが理想だが、現実には、せいぜい100+100=200になるか、あるいは100+100がなぜか50とか0になってしまう場合も少なくない。

 「100×100=1万になったケースも少なくなかったと思います。ただ、自分たちの世代の新しい価値観を作って世の中を変えてゆこうという部分については、正直言って実現できませんでした」

 ネットワーキングの難しさはここにある。筆者自身も、1984年から仲間たちとともに、志を同じくする同世代のビジネスマン、マスコミ関係者、官僚、学者、法曹関係者、政治家、芸術家などを糾合し、都心に拠点を設けて政策提言まで視野に入れた活動を展開し、その模様は民放キー局の情報番組で1週間にわたって特集された。しかし次第に、メンバーたちは本業の方が忙しくなり、海外赴任や留学、地方転勤で去るなど、櫛の歯が抜けるようにしてその数は減ってゆき、さらに結婚したり役職に就いたりすることで、考え方も堅実で保守的なものとなっていった。藤沢さんの場合も、それに近いものがあったのだろうと推察される。

 「一番の収穫は、人生で最も尊敬できる人々のほとんどは、この時期に出会い、そのお付き合いが今に至るまで続いているということです」

 それは真実なのだろう。藤沢さんが経営コンサルティングの現場で「勘をひらめかせる」時には、こうした人々から体感的に学んだことが生きてくる、と話す。大きな達成感とほろ苦い挫折感とをもって彼は復学を決意する。

復学、マッキンゼー入社、そして……

 「ネットワーカーとして活動する中で、経営というものの大切さを身に染みて感じましてね。経営についてちゃんと勉強しようと思って、2000年に復学したんです」

 2001年3月には、無事大学を卒業して、外資系経営コンサルティング会社のマッキンゼー&カンパニーに入社する。

 「ビジネス修業の期間として捉え、3年間限定で勤めようと考えていました」。実際には、そのプランを前倒して、彼は2年でマッキンゼーを退社。2003年10月、共同経営者とともに株式会社カスケードを立ち上げる。

 大学卒業後は、ネットワーカーとしての活動から一切、手を引いてしまったのだろうか?

 「いいえ、実は、20代を通じて、試みてはいたんです。でも、うまく行かなかった。ほんと、悩みましたねー」

 自分では、うまくいかなかった原因をどう考えているのだろう?「結局、自分の意志とか才能だけでは、物事は決して成就しないということです。自分の力だけでできることは限られています。むしろ、環境の影響の方が大きいんです。ですから、意志・才能・タイミングの3つが揃うことが大切なんです。うまく行かなかったのは、要するに、そういうタイミングではなかったからということでしょう」

 インタビュー前編で藤沢さんが口にした「地の利、人の利、時の利が大切」という孫子の兵法からの引用は、こうした経験も影響しているのであろう。

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