ネット上で、日本人が“残念”であり続ける4つの壁烏賀陽弘道の時事日想(2/5 ページ)

» 2015年01月08日 08時00分 公開
[烏賀陽弘道,Business Media 誠]

日本語という言語の特殊性

 これは楽しい。20年前、米国の大学院で国際関係論を学んだときは、苦学して入試に合格し2年間ニューヨークに移り住んで、世界50カ国の学友と英語で議論した。あのときと同じような知的な刺激が、東京の自宅で再現されている。

 しかしこれは、私が「英語が使える」(雑談したりジョークを言ったりできる)という特技に恵まれているからとしかいいようがない。

 注意してみてみると、英語以外の言語で発言やスレッドが構成されているときは、やはりその「地域言語」の使用者ばかりが集まってくることが分かる。例えば、タイ語、ポルトガル語(ブラジル人だろう)、インドネシア語、韓国語、ロシア語。反対にフランス語、スペイン語、北京語、アラビア語といった使用者が世界中に分布している言語だと、まだ発言者に多国籍的な広がりがある。その言語の使用者がどういうふうに分布しているか、というリアル空間の力関係が、そのままネット空間にも持ち込まれている。リアルの言語の壁はそのままネットでも越えられない壁になって残るのだ。

 そういう観点でいえば、Facebookの日本語の会話に参加してくるのは、悲しいくらい「日本列島」に住む日本人がほとんどである。まれに、日本語に堪能な外国人や、海外に住む日本人がパラパラと参加してくるにすぎない。

 日本語という言語の特殊性は、日本語を使う人々がいる物理的空間が、ほぼ日本という国、日本列島という空間に限定されていることだ。反対に、英語やスペイン語を使う人は世界中に分布している。ドイツ語を使う人はスイスやオーストリアにもいる。フランス語ならベルギーやスイス、アフリカにもいる。

 私がこの「ネットでも言語の壁は最後まで残る」という指摘をすると、ネットユートピア派の論者は必ず「そのうちにネット翻訳が進歩して、言語の壁はなくなる」と反論する。それは「夢物語」だ。はっきり指摘しておこう。

 日本語の会話を見ていると、その内容は「日本文化を共有している人」にしか通用しないことがほとんどである。「お正月に初詣をした」「実家に帰省した」「ごろ寝した」といった書き込みが多数ある。しかし、それをそのまま英語に翻訳したとしても、非日本文化の人々にとっては何のことか分からない。そもそも、欧米では1月は2日から出勤で長期休みではない。帰省する習慣がない。むしろクリスマス前後が長期休暇であり、帰省する。「日本では年末年始は長期休暇だ」「家族の元に帰る」「神道の社に詣で一年の幸福を祈願する」「それはなぜなら〜という文化的背景がある」という「非日本文化圏」の人々が読んだとき理解して会話が始まるよう想定した書き方がされていないのだ。

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