ネット上で、日本人が“残念”であり続ける4つの壁烏賀陽弘道の時事日想(4/5 ページ)

» 2015年01月08日 08時00分 公開
[烏賀陽弘道,Business Media 誠]

「会話力」の差

 文化の孤立性、特殊性に話を戻す。百歩譲って、日本語でのネット発言が完璧に英語に自動翻訳されるような未来が実現したとする。そのとき、世界の非日本文化圏の人々は、FacebookやTwitterで日本人が発信する内容に興味を持つだろうか。私は悲観的である。

 Facebookでの日本人の発言を見てほしい。「きょうは夕食にチャンポンを食った」「子どもを連れてキッザニアに行った」「夕焼けがきれいでした」「雪が降りました」(写真つき)などなど。おそろしくプライベートである。「身辺雑記」または「雑談」が大半なのだ。それは確かに微笑ましい話なのだが、ただ微笑ましいだけである。発言者当人を知らない人にとっては、ほぼ無価値である。まして文化や空間を共有しない人たちには理解すらできない。

 ここには「多数が会話に興味を持つ話題を選んで発信する」という「会話力」の差が見える。普及している言葉を選べば「コミュニケーション能力」の格差、とも言えるだろう。

 ネットであっても「凡庸な話題に興味を持つ人は少ない」という現実世界の法則はそのまま適用される。悔しいことに、欧米人の「会話のうまさ」に平均的日本人はまったく勝てない。ロック、ジャズなどポピュラー音楽や映画、絵画、文学、ジョークビデオ、人生の格言などをYouTubeをはじめさまざまなWebサイトをリンクして拡散させる。人が興味を持つような工夫をちゃんとしている。自分の考えや思い出を書く。まるでディナーを共にしているかのように、会話の輪が広がっていく。

 これも米国の大学院で経験したことだが、日本人は非日本文化圏の人々と一緒にいると急に寡黙になった。英語が堪能でも、そうなるのだ。なぜなら、多くの人が「話題に乏しい」からだった。つまり「話がつまらない」のだ。

 私が在籍したコロンビア大学の大学院には、外務省や経産省、名だたる一流企業からの留学生が多数いた。その多くは日本の偏差値上位大学を出たエリートたちだった。が、仕事の話以外は本当にできなかった。音楽、映画、文学、美術、歴史といった話題を知らない(そうした知識を欧米人は“culture”=教養と呼んだ)。

 さらに悲惨なことに、日本の伝統文化や歴史のことも話せるほど知らない。はっきり言ってしまうと「話がつまらない」だけでなく「人間として薄っぺらで、つまらない」人が多かったのである。そうした現象は、Facebookでもそのまま残ってしまった。

会話力の差が……

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