「仲良くしていく以外、道はない」――丹羽宇一郎元大使が語る、今後の日中関係(2/4 ページ)

» 2013年01月31日 11時50分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

「両国が争えば害があり、両国が和すれば益だ」

 私はこれから4つのことを申し上げたいと思います。ミクロを追求すれば、マクロにつながっていくという過去30〜40年の経済学理論を新古典派総合と言い、今それに従って、安倍さんはいろいろと金融緩和、財政政策をとっておられるようですが、それをあてはめようということではありません。

周恩来氏(1898〜1976年、出典:Wikipedia)

 最初に1972年の日中共同声明の原則といいますか、基本的な考え方を申し上げたいと思います。周恩来総理は田中角栄首相と1972年に会談を行った時もそうですが、「両国が争えば害があり、両国が和すれば益だ」とおっしゃいました。これは先ほどの中国の4000年の歴史から出た、大変重い教訓であり、言葉であります。

 そういうことから、私は政権の交代があろうと、日本と中国の関係はただひとつの道しかないと思います。それは友好の道です。その道は狭いかもしれない。広い時もあり、風雪に耐えないといけないことも、日本晴れの時もあるでしょう。狭い道、広い道あるかもしれないですが、風雪に耐えながら、あるいは天気に恵まれながら一歩一歩、両国民が努力して、進む以外選択の道はないんだということです。

 両国は何千年と隣国にあり、これからも住所の変更はできません。夫婦なら離婚できますが、我々は離婚して別居することもできません。つまりずっと隣で、嫌でもあるいは我慢してでもとにかく一緒に仲良く努力していく以外、道はないんだということを両国民がしっかりと心に刻んで、これからも努力をする必要があるということです。

 2つ目は領土主権の問題です。どのように調べられたかは別として、世界各地で今、370の領土主権の争いがあると言われています。

 そうした中で、国の主権や領土を譲歩した国は、一部の例外を除いてありません。領土主権の問題については今もさまざまな形の解決が努力はされていますが、0対100の解決しかないだろうと思います。そのためには3つの道しかないでしょう。1つ目は国際的な司法に訴えること。2つ目は土地の売買で解決すること。3つ目は武力で解決することです。

 この3つしかないだろうと言われていますが、3つとも尖閣問題を考えた時はありえない、してはいけない、特に武力は絶対に手を出してはいけません。売買はまずないだろうし、司法へ訴えるといっても、自分の土地と思っている国が裁判所に何を訴えるのでしょうか。自分の土地だと裁判所に訴えるといっても、裁判所は受け付けないでしょう。他国が自分の土地を侵害したから、侵入したからと訴えることはあるでしょう。しかし、日本の国土で領土だと言っているものを国際司法裁判所にどのように訴えるのか。相手もそのように考えているとしたら、両者とも裁判は成立しません。

 しかし、第四の方策があると私は思います。それは休むということです。解決はしないですが、顔を合わせて危機管理や海難救助をどうするか、あるいは漁業協定をどうするか、頭を冷やして話し合う。あるいは最近よく耳にする、領海侵入や領空侵入という、一触即発の危機を避けるような仕組みを両者が話し合うことが大事だと思います。

 そしてトウ小平さん、あるいは日本の方々もそうですが、棚上げ論というものがありました。私も1972年や(日中平和友好条約を締結した)1978年当時の国会答弁や両国政府のいろんな意見を読んでみました。明確な棚上げの文章はどこにも記載されていません。これは事実です。しかし、それらしき雰囲気がどうもあったなと感ずるのは、その歴史をお読みになった方はほとんど間違いなく、そういう理解になるだろうという文言があります。

 従って、日本政府が言ってきたように「棚上げという合意はなかった」というのは、少なくとも明文化されていませんから、正しいわけです。棚上げという言葉は嫌でしょうから、休むというのがよろしいかと思います。

 3つ目は日中関係を考えた時、私が時々みなさんに申し上げているのは、日本と中国の友好関係を発展させるようにしたいのか、日本と中国の関係を破壊したいのかどちらですかということです。もし、「日本と中国が隣の国としてこれからも友好関係に進んだ方がいい」という周恩来総理の歴史の重みを感じているなら、それなりの言動や努力をするべき、破壊したいならそれはそれなりの努力をするべきです。

 どうもやっていることが友好なのか、破壊なのか分かりませんが、破壊したいという人は、なぜ破壊をしたいのかと。それが両国にとって本当にプラスなのかマイナスなのか。それを考えれば、私が最初に申し上げたように間違いなくただ一つの道しかないわけですから、それなりの努力を両国民がしないといけないわけです。

 戦略的互恵関係をさらに進めるという言葉がありますが、自分の国の利益にかなうから、お互いに協力しましょうということなので、他国の利益のためだけに、協調する、努力するということはありません。自国の利益にかない、協調することによって両国の利益にかなうというから戦略的互恵関係というものがあるわけなので、そういう視点で日中両国は戦略的互恵関係をさらに推進すべきと思います。

 4つ目、申し上げたいと思います。日本の歴史を考えると、明治時代に伊藤博文が第1代の日本国総理大臣になりましたが、1956年に石橋湛山が第55代の首相になりました。

 この石橋首相が、1959年に周恩来氏と会談しています。1972年にさかのぼること13年前、すでに周恩来と石橋三原則という形で話し合いをしています。

 その中で、日中両国民は主権と領土保全の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存の五原則をしっかりと尊重し、守るべきであるということを第一番に言っています。そのほかにも、日本と中国の国民が自由に往来ができるようにしなくてはいけないと。そういったように1972年の10数年前から、日本と中国の間で仲良くしていく努力をしようということが話し合われてきているということです。

 そして第95代首相が野田佳彦氏です。石橋首相以来、40人が首相に就任したということです。私が言いたいのは第二次大戦後、日本と中国が交友関係を発展させようとして41人の首相が、日中関係促進のために、大なり小なり努力をされたと申し上げたいわけです。

 その先人たちの努力の重みを今、破壊しようとしたり、水泡に帰す行為があったりするとすれば、それは歴史の重みを自覚しないことであり、決して許されることではないと思います。両国トップのこれからの対応に日中関係破壊につながるようなことがあり、数十年の41人の首相の努力を水泡に帰すことがあってはなりません。それは、政治の大罪という言葉にあたるかもしれません。

 それは日本側だけの話をしているわけではありません。両国トップがそういう歴史の重み、あるいは心に覚悟を持って日中関係を戦略的互恵のもとで努力を続けるということを申し上げているということで、くれぐれも誤解のないようにしていただきたいです。

 最後に一つだけ申し上げると、1972年以来の約40年間で、1万人の交流が540万人になり、10億ドルの貿易額が3400億ドルになり、中国に進出している日本企業が2万2000社になり、12〜13万人の日本人が中国市場で家族ともども活動しています。日中共同声明がなければ、こういうものが果たしてあったでしょうか。日中関係がここまで強力に、経済や文化、国民同士の面でお互いに離れがたく結びついていることがあっただろうかと考えると、歴史の重みというものを感じざるをえません。賢者は歴史に学び、愚者は感情のおもむくままに動くと言いますが、我々はもっと賢い両国民にならないといけないと思います。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.