「読売新聞は言論を売っていない」――清武英利氏、佐高信氏が語る出版契約裁判(2/4 ページ)

» 2012年05月18日 21時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

渡邉恒雄会長による球団私物化の告発が影響?

清武 私は読売巨人軍の球団代表兼GMでしたが、2004年までですが30年にわたって読売新聞の記者でしたから、今日は元社会部記者としてお話ししたいと思います。

 新聞記者にとって長い間、目標にしてきたのは読み捨てられない記事を書くことでした。大きな事件が起きますと、そのたびに記者は猛烈な勢いで記事を書きまくります。しかし、「事件の断片をただ書き飛ばすだけでは全体像を伝えていることにならない」と常々思っていました。継続的に取材班を組織し、新聞で連載し、さらにそれを1冊の本にまとめる。それは私たちがどうしても一過性に陥りがちな新聞記者の課題を克服しようと、当時、試みた報道の手法の1つでした。

『会長はなぜ自殺したか』

 私たちが15年前、1997年に手掛けた事件は巨大な証券会社や大手銀行が総会屋と癒着して、多額の利益を供与していた日本金融界のタブーでした。大蔵省、日銀、政界にも波及して、自殺者が6人、逮捕者を45人も出す未曽有の金融事件となりました。

 先ほど控室で、「総会屋という言葉は非常に訳しにくい」というような話をしました。その時も形容のしようがなかったのだと思うのですが、その一連の事件は“金融不祥事”と呼ばれました。その時に、あまりの犠牲者の多さに、大手出版社の新潮社と読売新聞社会部が連携してまとめたのが『会長はなぜ自殺したのか』です。

 読売新聞社会部の取材班は当時、文字通り寝食を忘れて日本金融界の腐敗の解明に当たりました。『会長はなぜ自殺したのか』はある意味で組織取材の成果で、その後に続く私たちの出発点でもありました。また同時に、社会部の記念碑的な仕事だと自負しています。読売の取材班が1998年にまとめた本が今回、佐高さんの監修によってシリーズの1冊に選ばれて復刻されるのは大変名誉なことだと考えていました。それは活字にもう一度命を吹き込むからです。

 出版元の七つ森書館には大変失礼なものの言い方かもしれないですが、採算を度外視した真面目な出版だと思っています。当時、取材班を率いた私だけでなく、取材班のメンバー、あるいは社会部の有志たちは同じように『会長はなぜ自殺したのか』が復刻されることに誇りを感じたと思います。

 大手新聞社、とりわけ読売新聞は常々「日本の活字文化を守る」と公言してきています。その大きな新聞社が理由にならない理由を付けて、この本を復刻させまいとするのはあまりにも理不尽で、恥ずべき行為であると私は考えます。

 私が読売巨人軍の球団代表兼GMとして、読売グループ本社の渡邉恒雄会長の球団私物化を告発して半年になりますが、読売新聞によるさまざまな嫌がらせのような行為は続いています。今回の行為もその延長線上にあると私は考えています。しかも、出版物を封殺しようとして実際に動いているのが読売社会部の出身者であることが私は非常に悲しく思います。

 出版妨害と言われても仕方がない今回の読売の訴訟について、それを指示したのがもし渡邊会長だとしたら、側近の人々や記者の方々は「もういい加減にしてはどうか」とその権力者に進言してもらいたいです。私の渡邊会長批判と、私たちが誇りとする今回の復刻版はまったく無関係です。読売の人々は嫌がらせをやめる、あるいはやめさせる勇気をぜひ持ってもらいたいと思います。

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