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» 2011年07月02日 10時20分 UPDATE

東日本大震災ルポ・被災地を歩く:震災から3カ月、南相馬に住むということ (1/4)

東日本大震災からちょうど3カ月経った6月11日、私は福島県南相馬市にいた。地震、津波、原発事故に揺れるこの町は緊急時避難準備地域に指定され、住民は悩みながら暮らしている。

[渋井哲也,Business Media 誠]

 6月11日、私は福島県南相馬市原町区に来ていた。震災の3カ月目をどこで取材をしようかと考えていたが、地震、津波、原発事故に揺れる南相馬市での取材を選んだ。原町区萱浜で鎮魂祭が開かれるのを知って、その会場に向かった。

ay_sbimap02.jpg 福島県浜通りの北部に位置する南相馬市は、福島第一原発の北に位置する(クリックすると広域の地図を表示します)

緊急時避難準備地域に指定された町

 南相馬市原町区萱浜は、原発事故のあった東京電力・福島第一原子力発電所から約25キロ圏になる。このあたりは事故後、人口のほとんどが避難していたが、次第に人口が戻っりお店も開いているところが多くなってきた。しかし「緊急時避難準備地域」に指定されたこともあって、再び人口が減ってきている。

ay_sbi05.jpg ジャズミュージシャンの坂田明さん

 この日の鎮魂祭では、ジャズミュージシャンの坂田明さんが「浜辺の歌」をサックスで演奏した。この日は震災3カ月目とあって、たくさんの報道陣が集まっていた。インタビューに応じた坂田さんは、どんな思いなのか?と聞かれ、「思いも何もない。ただ私ができることは祈るだけ」と答えていた。

 地域の人たちが集まる中で、神事が行われた後、坂田さんが静かに演奏を行った。地震が起きた午後2時46分には黙想をした。その中に、青森から来たという夫婦がいた。その夫婦は、青森在住の会社員・黒岡新太(26)さんと妻の香織さん(26)。2カ月の勇貴ちゃん(2カ月半)の遺影を持ち、泣きながら黙祷をしていた。

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ay_sbi06.jpg 鎮魂祭のようす(6月11日)

青森から毎週末通っている

 新太さんと香織さんは2009年10月に結婚。ずっと「子ども欲しいね」と言っていたという。2011年1月、ようやく子どもを授かった。3月11日以降、勇貴ちゃんは行方不明のままだ。そのため2人は毎週末、勇貴ちゃんを探しにこの地を訪れている。

 新太さんは当時、青森で仕事をしている時に被災した。「ちょうど3月11日に、青森からこっちに来る予定だった。『早く仕事終わらないかな?』と思っていたら、こんなことになってしまった。最初は青森だけの地震だと思った。しかし、ラジオを聴いていたら、震源は宮城ということだった。そのとき、電話は通じた。津波警報が出ていたこともあり、『警報出ているから逃げろ』と言ったんです。ただ、この周辺の人は逃げなかった。チリ地震の時も大丈夫だったから、と。でも午後6時ぐらいに妻から電話があり、『勇貴がいない』と……」

 勇貴ちゃんが行方不明のままだが、新太さんはその心情についてこう話す。「まだ行方不明なので、早く見つかればいいな、と思っている。いまは青森に住んでいて、毎週のように探しに来ているが、なかなか見つからない。まだ8000人以上の人が行方不明なので、同じ気持ちの人がたくさんいると思う。まだ諦めきれない。運命かな、と思うけど、やりきれない」

 そう言いながら、勇貴ちゃんとの写真をスマートフォンで見せてくれた新太さん。

 「ちょうど笑い初めていて、写真もたくさん撮っています。家もなくなってしまったので、行くと辛い」

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