香織さんは里帰りをして実家に来ており、勇貴ちゃんを出産していた。3月11日には実家にいた。その後、いったん仙台に避難し、それから青森に戻った。
「最初はすごく揺れ、家の中もぐちゃぐちゃになったんです。そのため一回、外に出て、祖母と部屋の片付けをしていたんです。気がついたら、もう津波が近くまで来ていた」
香織さん自身も津波に飲まれてしまった。いったんは沈み、100メートルぐらい流されて、近所の建設会社にたどり着いたという。
「今まで津波は来なかったし、地震もそんなになかった。好きな場所だったし、勇貴と過ごした場所がなくなってしまい、悔しい。……思い出は2階の部屋です。そこで3人で過ごしていました。そこだけは3カ月前のままなんです。不思議です。まだ寝ているような気がします」
いま、勇貴ちゃんに声をかけるとすれば、どんなことなのだろうか。「まだ見つかっていないので、死んでしまったという実感が湧かない。はやく見つけたい。『守ってあげられなくてごめんね』と言いたい」
生まれたばかりの子どもが近くにいながらも行方不明になってしまったために香織さんは、当初、自分を責めていた。「なんで自分だけ助かったのか。自分も一緒に死ねばよかった」
なかなか自責の念が消えなかった香織さんを、新太さんは精神的なケアに努めた。「会社の人たちに、『相手がダメになれば、あんたもダメになる。嫁さんのことをフォローしろ』って言われました。こっちにいても原発事故のことがあったので、1週間後には青森に連れて帰りました。精神的なケアをして、自分を追い詰めることのないようにしていた。『守ってあげられなくてごめんね』ということしかできなかった」
そうした新太さんのケアのおかげで、香織さんは気持ちの変化も出てきている。「今でも自分を責めることはある。でも、(勇貴ちゃんを)見つけてあげるのは自分しかいない。がんばって生きようと思う」
鎮魂祭の後、2人は勇貴ちゃんを再び探しに行った。
南相馬市には取材したい家族がいる。大学時代の先輩夫婦が住んでいる、と別の先輩に聞いたのだ。子どもが3人いるのに、なぜ南相馬市から離れないのか。心配だったし、詳しく話を聞きたかった。
待ち合わせ場所に、私の先輩である三条美幸さん(48)と、長女の志賀英美ちゃん(6)、次男の志賀文博ちゃん(3)が車でやってきた。文博ちゃんは私が持っていたガイガーカウンターに興味を持ち、話しかけて来た。家に着いても、カウンターで「測って!」と騒いでいる。数値の意味をどれだけ分かるのかは不明だが、場所によって数値が違うことは分かるようだ。
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