しかも無作為で選ばれた11人の検察審査会のメンバーは、「国民の代表」というだけの正統性を有していない。その人たちの素性も審査の過程も何も明らかにされないのでは、正統性など主張できるはずもない。裁判員裁判でも、裁判員を自分の「代表」とは思わないし、人を裁くことが自分の権利であるとは考えない。
国家権力を国民が監視することは、民主主義社会として必要だ。それは歴史によって育まれてきた知恵でもある。しかし「国民の名の下に」権力の行使をすることにはよほど慎重でなければなるまい。「国家」と「国民」は決して同じものではないからである。
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