コラム
» 2010年07月13日 08時00分 UPDATE

野島美保の“仮想世界”のビジネスデザイン:ネトゲ廃人を脱するための3カ条 (1/4)

オンラインゲームにはまるとはどういうことか。筆者が実体験から編み出した「廃人生活」からの脱却方法から、人に優しいオンラインゲームのあり方を考える。

[野島美保,Business Media 誠]

「野島美保の“仮想世界”のビジネスデザイン」とは?

ゲームは単なる娯楽という1ジャンルを超えて、今や私たちの生活全般に広がりつつある。このコラムでは、ソーシャルゲームや携帯電話のゲームアプリなど、すそ野が広がりつつあるゲームコンテンツのビジネスモデルについて、学術的な背景をもとに解説していく。


 講演など大学の外で仕事をいただくと、枕詞のように「ゲーム廃人の先生」と紹介される。そうするとキャラが立っていいのかもしれないが、実を言うとすでに廃人を脱している。

 オンラインゲームというと、実生活が維持できないほどのめりこむ、いわゆる「廃人化」が問題視される。この問題は賛否両論あるところなので、今回は学術的な見解ではなく個人の経験として述べたい。

ゲームにはまるとは

 会社員を辞めて大学院に入ったころ、オンラインゲームに出会った。今までにない高揚感を感じ、その日からほとんど家に帰ることができなくなった。研究室の床に毛布を敷いて寝起きし、通学の時間も風呂に入る時間も惜しく、ご飯もPCの前で食べた。勉強や仕事以外の時間を削った結果、1日の睡眠は2時間となったが、それでも体調が良いばかりか、苦学生ゆえの将来の不安も陰鬱とした気分さえも吹き飛んだ。初めて「世の中が楽しい」と思った。

 それでも、「ゲーム中毒だ。研究を捨てた」と周りから心配される。あまりに言われるものだから、文句を言われなくするために、「これを研究テーマにしよう」と覚悟を決めた。

 とはいえ、夢で現れる自分の姿は依然としてゲームキャラだし、夢物語も新しいダンジョンの攻略だった。脳の隅々にまでゲームマップが染み込んでいた。まさにゲーム世界の中に生きていた。

 ゲームを心待ちにして朝を迎え、少々プレイをして、午前中の雑務をこなし、そわそわしながら昼飯と同時にゲームを立ち上げ、夜にはゲームの友達との「狩り」の約束に間に合うように仕事を片付ける。今思えば、どんなに上手く時間を使っているつもりでも、心は現実ではなくゲーム世界にあった。

 しかし、こういう状況が続くことを、本人も良いと思っているわけではない。どの廃人も「何とかしなくてはいけない」と焦燥感に駆られているのではないか? そろそろゲームをやめようと思ってからの方が大変だった。ゲームとの蜜月状態は終わり、ただ惰性でプレイしていた。それなのにやめられない。周りの目は冷たい。追い詰められた気分だ。

 とりあえずPCを立ち上げてログインしてみるが、期待する“何か”はもう見つからなかった。それでも「毎日ログインすれば……」と期待し、ゲームの最中でも「何か楽しいことはないのか」と矛盾したことを思う。

 今まで貯めたゲームアイテムを友達に配ったり、課金アカウントを停止してみた。やめたり戻ったりを繰り返し、やっと止めたと思ったら、かえって不調になり入院してしまった。ゲームを止めたからといって、現実世界のしんどさは変わらず、かえって行き場を失ったストレスがたまっていった。

 一方で、現実の日々の生活に集中しているとも言えなかった。生活の最低限をこなし、ただ時間が過ぎていった。そんな自分にますます自信がなくなり、自己嫌悪する。「今のままではいけない」と思うものの、外野から「ゲームをやめろ」と言われても、本人にはどうすることもできない。問題はゲームにあるのではなく、何に対しても楽しいと思えない自分にあるような気がした。

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