コラム
» 2009年10月20日 08時00分 UPDATE

劇的3時間SHOW:『黄昏流星群』はサッチーの写真集を参考に――『島耕作』の弘兼憲史氏が語る (1/3)

島耕作シリーズなどで知られる漫画家の弘兼憲史氏は10月10日、JAPAN国際コンテンツフェスティバルのイベント「劇的3時間SHOW」に登場、日本漫画の発展の歴史や自身が漫画を執筆する際の苦労などについて語った。

[堀内彰宏,Business Media 誠]

 島耕作シリーズなどで知られる漫画家の弘兼憲史氏は10月10日、JAPAN国際コンテンツフェスティバルのイベント「劇的3時間SHOW」に登場、日本漫画の発展の歴史や自身が漫画を執筆する際の苦労などについて語った。

 弘兼氏は1947年生まれ、山口県出身。早稲田大学法学部卒業後、松下電器産業(現パナソニック)に入社し、本社販売助成部で勤務。退職後、1974年に漫画家としてデビューした。代表作に『人間交差点』(小学館)、『課長 島耕作』(講談社)、『黄昏流星群』(小学館)などがある。

ah_hirokane.jpg 漫画家の弘兼憲史氏。同年代である西郷輝彦氏の曲、『星のフラメンコ』の音楽で登場した

漫画は日本の基幹産業になる

弘兼 私は漫画を描き始めて30数年になるのですが、以前はサブカルチャーだった日本の漫画文化が今や世界に冠たる文化、完全なメインカルチャーになっています。そして、漫画、アニメ、ゲーム、映画、音楽などが含まれる日本のコンテンツ産業の市場規模は、10兆円とも20兆円とも言われる大きな産業になりました。

 中国が出てきたために日本の製造業はどんどん縮小していますし、これからも小さくなっていくでしょう。日本でテレビを1台も作らないという時代が必ず来ます。そうした時に日本はどうやって生き残っていくか。著作権などをほかの国に売って利益を得る、という方法しかなくなってくるとも言われています。

 したがって、漫画はある意味、日本の基幹産業の1つになっていく、日本を救う産業の1つになると考えていただければと思います。皆さんのお子さんがこの業界に入ろうとする時、昔だと「漫画家なんてダメよ」と言われていたのですが、「これからは漫画だぞ」「これからはゲームソフトだ、アニメだ」と考えていただければと思います。

団塊の世代の成長とともに漫画は発展した

弘兼 日本の最初の漫画は法隆寺での卑俗な落書き、あるいは鳥獣戯画の絵巻物と言われています。絵巻物では長い紙に文字や絵を描いてという形で、ストーリーがずっと連なっていく。これは世界にあまりない形態なのですが、そういうものから日本の漫画は始まったと言われています。

 “漫画”という言葉は江戸時代、葛飾北斎の北斎漫画で最初に使われました。漫画といっても、今の漫画とは全然違っていて、江戸の風俗を面白おかしく、軽妙洒脱に描いたようなものです。僕らも時代モノの漫画を描く時には、写真があるわけではないので、印籠をどういう風にぶら下げているかといったようなことは北斎漫画の絵を参考にしています。その後、尾形光琳が光琳漫画を描いたりしましたが、漫画が今の形になったのは実は戦後になってからです。

 戦後、日本の漫画は3つの要素がシナジー的に重なって、今の隆盛を作ったと思います。1つ目は手塚治虫さんの存在、2つ目は団塊の世代という漫画を読むマーケットが存在したこと、3つ目は漫画雑誌を大手出版社が扱ったということです。ほかの国では小さな出版社でしか漫画を作っていなかったのですが、日本の場合は講談社や小学館、集英社、秋田書店、芳文社、少年画報社といったような、大手の会社が手がけたことから発展しました。

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