放送作家が「テレビでアピールする方法」を書いたワケ郷好文の“うふふ”マーケティング(2/3 ページ)

» 2009年08月27日 07時00分 公開
[郷好文,Business Media 誠]
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きっかけはDIME

 著者の野呂さん、どんな人なのだろうか。

野呂エイシロウさん

 「『DIME』の広告に応募したんです」

 時はバブル経済まっさかりの1990年頃、野呂さんは愛知工業大学の学生だった。ふと手に取ったトレンド雑誌『DIME』で学生起業集団メルブレインズの募集広告を見つけた。メルブレインズは、三菱電機が作った若者対象のマーケティング機関。応募者は400人もいたが、約10名の合格者の1人となった。

 野呂さんがまず手がけたのは「2万人学生会員アンケート」。学生が何を買い、どんな感想を持ったかを細かくアンケートでまとめた。三菱総研などを通じて、毎週レポートを企業に販売。100万円以上の金額でバカバカ売れた。“かっこインテグラ”を買い、すぐにプレリュードに乗り換えた。スーツをパリッと着てクルマで出社。大学生にして年収はサラリーマン管理職以上だった。

 ノリまくる学生起業家たち、帝国ホテルに宿泊して企画書を作成、企業にFAX送信したこともあったという。「なぜ帝国ホテルなんですか?」と尋ねると、

 「FAXの下に“帝国ホテル”って名前が出るでしょ。『学生の分際でこいつら帝国ホテルにいる!』と驚かせるためです」

 しかし、実際は「2人部屋に8人が泊まっていた(笑)」という。

藤谷美和子のヌード

野呂さんが参加していた学生起業集団メルブレインズはユーブレインズと名前を変え、現在でも続いている。画像はユーブレインズWiki

 業界初の大学生クレジットカードの発行や、モスグリーンの学生向け家電など、数々の企画を成功させた。大学卒業後も出版社に就職したが、新入社員の分際でメルブレインズに仕事を2000万円も発注したという。しかし野呂さん、出版よりも放送にこだわりがあった。

 「『GORO』に藤谷美和子のヌードが載っていたんです」

 野呂さんが高校生の頃のこと。青年向け雑誌『GORO』のその号が欲しかった。エッチな写真が多いこともあり、学生服では中々買えなかった。

 「えいや」と買ったら、秋元康さんの新春特別インタビューがあった。読みふけった。おニャン子クラブってすごいと思った。ヌードは切り取らず、秋元さんのインタビューを切り取った。

 野呂さんは小中高とずっと放送クラブに所属。テレビ番組を作る仕事が夢だった。しかし、名古屋で制作されているとばかり思っていた『オレたちひょうきん族』などのバラエティ番組が「すべて東京で作られていたんだ!」と知り、あきらめて地元に就職した。

 だが、そんなある日、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の放送作家募集広告を見つけた。「これだ!」と、ラブレターを書くように10枚の企画書を書いた。すると……、

 「吉田正樹さん(当時フジテレビの制作、現ワタナベエンターテインメント会長)から電話があったんです。『これから会えますか?』と。待てよ、今は17時だ。東京まで新幹線で2時間(当時)、(当時フジテレビ本社があった新宿区)河田町まで1時間とばぁっと計算。河田町なんて知らないから余裕をみて、『残業を終えて8時にうかがいます!』」(笑)

 マスコミ電話帳を手に探し当てたフジテレビ。近くのおでん屋で吉田氏と話すと、「来週火曜から来い」と言われた。翌日、会社に辞表を出した。

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