そしてこの「欠乏のポイント」はハッキリと分らなければなりません。例えば図2のまわりにもし、よけいな情報がごちゃごちゃといっぱいあると(図3)、よけいな情報の海に埋もれて欠乏点が分からなくなってしまいます。そうなると学習者は「大量にあるよけいな情報をひたすら丸暗記」する方向に走ってしまい、「自分で考える」ということがなくなります。
実はこの悪いパターンにハマリがちなのが、学校教育で言えば「歴史」系の科目です。世界史にせよ日本史にせよ大変に覚えなければいけない情報が多く、暗記科目であると言われています。
そりゃあ、1929年の世界経済恐慌についてこんな書き方しかしていなかったら、暗記科目になるのも無理はありません。以下の5項目は、手近な高校世界史の教科書から「世界経済恐慌」について読み取れる情報を要約抜粋したものです。
実は私は高校時代に世界史の教科書でこのあたりを読んでいて非常に腹が立ったものです。というのは、上記の説明では例えば以下のような質問にまったく答えることができません。
もちろん、株価の動きなんてそもそも後付けの理屈でも説明が難しいものですし、たとえ書くとしても「経済・社会」の分野であって、「世界史」の教科書にそのへんの話を書くのにも無理があることは確かでしょう。
とはいえ、上記(1)〜(5)のような情報に実感を持つためには、「金融が社会を支える仕組み」を知っていないことには話になりません。先進国の中でも最も金融知識に乏しいことで有名な日本の高校生がそれを知っていることを、果たして期待できるでしょうか?
この連載の第8回で私は「教える順番をとことん慎重に考えろ」と書きました。
「何をどの順番で教えるか」は、教育計画の根幹です。世界史における「世界経済恐慌」の意味に実感を持つためには、その前に金融の知識を知っておくことが絶対に必要です。それを、「これは世界史の教科書であって、経済・社会じゃないから」とスルーして良いものでしょうか?
良くないのです。
別に、世界史の教科書に「金融の仕組み」を書けというつもりはありません。しかし、「ここに欠乏点があるぞ」と注意を促す記述ぐらいはあっていいはずです。例えば、
といった1行を入れておくだけでも良いのです。それがあれば、図3のようなごちゃごちゃした情報の山の中から「欠乏点」を浮かび上がらせるスポットライトになりますから。
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