ウィスキーの水割りを作ろうとしてマドラーを探していると、家族の1人が「はい、マドラー」と割り箸を差し出しました。他愛もないことですが、「自分で考える」ための示唆がこの“マドラー”に含まれているのです。
今回はくだらない話から始めましょう。
もう何年も前に、家でお酒を飲んでいた時のことです。久しぶりにウィスキーの水割りを作ろうとして、マドラーがないことに気がつきました。みなさんご存じでしょうが、マドラーというのはカクテルをかき混ぜるために使う細長い棒状の道具のことです。普通はガラスや金属で出来ていますね。
すると、家族が台所に行って取ってきてくれました。「はい、マドラー」と渡してくれたその細長い物体は、よく見ると、いやよく見ないでも明らかに、コンビニでもらった割り箸の片割れでした。
「な、なにこれ(笑)。マドラーじゃないじゃん?」と私が言うと、「よく見てよね。マドラーって書いてあるでしょ」という返事。何のこっちゃと思ってその割り箸をひっくり返してみたところ、上の方に小さい文字で、
と書いてあったのです。木の割り箸ですからペンで字が書けるので、「マドラー」と書いて持って来たらしいんですね。そうは言っても割り箸の上では書きやすいはずもないので、その字はぐにゃぐにゃ曲がっておりました。
コンビニの割り箸の片割れというチープな素材の上にぐにゃぐにゃと書き込まれた「マドラー」というチープな文字。それを見たとき私は衝撃のあまり「な、な、な……」と絶句してしまったものです。これでオシャレにカクテルを作ろうなんて、無理にもほどがあるではありませんか(笑)。
ところがその後、長らくその「割り箸マドラー」は我が家で活躍し続けました。使おうとする度に笑えるのでなかなかよかったんですね。たまたま本物が見つからなかった時にジョークで作った代用品ですが、内輪ウケできるお笑い素材としては大変に優秀だったのです。
……さて、ここで質問です。「割り箸マドラー」という、開米家ローカルなお笑いグッズは、どんなきっかけで生まれたものでしょうか?
答えは要するに「欠乏」です。単純な話、人は「欠乏」を感じたときにそれを埋めるために「考え」始めます。「本物のマドラーがない」から「割り箸を代用に」と考え、「割り箸ではチープすぎる」から「マドラーの字を書いてお笑いグッズに」転化させることを考えたわけです。
という「欠乏感」は、人に「自分で考える」という行動を起こさせる大きな要因なのは間違いありません(それがすべてであるというつもりはありませんが)。
なお、ここでいう「欠乏感」は、必ずしも「ハングリー精神」ではなさそうです。「ハングリー精神」というと普通は「貧困をバネにしてそこから抜けだそうとして頑張る根性」のようなもののことを言いますが、現実には、貧乏だからといって「自分で考える」ようになるわけではなさそうなのです。
個人的な意見としては、
のではないかと推測しているところですが、みなさんはいかが思われますか?
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.