ご苦労さまです、そう言い残してクルマを反対車線に向けた。この間、規制線の向こう側を見た。林にさえぎられて先は見えない。ただ、青い空と雲のきれいなコントラストがあるだけだった。
一帯の線量はどの程度なのか。なぜ機動隊員が防護服を着ていないのか。さまざまな疑問が頭をよぎったが、後続のクルマがつかえていた。
7.5キロ先には、あの忌々しい事故を引き起こした施設がある。その手前には、浪江の街がある。20キロの規制線がほとんど意味をなさなかったのは、さまざまな報道で伝えられている。この先の実態はどうなっているのか。次回、浜通りを訪れる際は、なんとかしてこの先に行ってみようと思った。
6号線を北上し、道路標識にある「小高市街」を目指す。
国道からわずかな地点、海岸線から2キロ程度だろうか。いまだにあの日のまま、車両が放置されている。宮城や岩手の沿岸で見た光景が、いまだに浜通りにはある。
こんな内陸の地点まで津波が到達したのか。小高の人たちさえ予想だにしなかった惨事の傷跡が、1年前のまま放置されている。
かつて城下町だった小高の第一印象は、「沈黙の街」だった。
理由は、人の気配がないこと。人が生活していれば、家々の窓が開いていたり、店先で世間話をする婦人たちの姿を見ることがある。だが、小高の市街地にはこうしたごく当たり前の光景が一切存在しない。
ハンドルを握りながら、バカな考えが頭をよぎった。大昔に観たB級のホラー映画だ。エイリアンか悪魔の類いが街に現れ、住人を一気に消し去る、そんな映画だった。
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