30年経った今だから話せる、初代G-SHOCK開発秘話――エンジニア・伊部菊雄さんG-SHOCK 30TH INTERVIEW(4/5 ページ)

» 2012年10月22日 19時45分 公開
[吉岡綾乃,Business Media 誠]

――確かに丈夫さの表現って難しいですね。「ゾウが踏んでも壊れない」とか? どこかの筆箱みたいですけど。

伊部 ゾウが踏むのは考えました。でも、やらなかったですねえ。ゾウの足が心配で……ゾウを借りて、ケガさせてしまったら大変でしょう?

こちらも『メカニックマガジン』の企画。ソフトボールの中にG-SHOCKを入れ、少年野球のバッターが何千回もボールをバットで打つというテストを行ったが、壊れなかったそう

伊部 とはいえやはり何らかの形で丈夫さを伝えないとダメだろうということで、米国では83年に、アイスホッケーのパック代わりにG-SHOCKをたたく、というテレビCMを流したんです。アイスホッケーでたたくのって、落とすのよりもものすごく強い衝撃がかかるらしいんです。視聴者の疑問に答えるという感じの人気番組が当時向こうにあったらしくて、「本当に壊れないのか」と問い合わせがたくさんあったんでしょうね。その番組で実際に実験してくれたんですよ。アイスホッケーの選手が、G-SHOCKを本気でスパーンとたたいてみたけど、ホントに壊れなくて「あれは過剰広告ではないですね」と。さらに番組ではトラックでひいたらどうなるか、という実験までしてましたけど、それでも壊れなかった。

 これがCMよりも効果があったみたいですね。消防士とか、警察官とか、外で働く人たちが「丈夫でいい」って評価してくれたんです。そのうちに、スケートボーダーとかファッション性みたいなのが評価されるようになって……日本では90年代に入ってから、実際には普通の時計店でG-SHOCKが並んでいたにも関わらず、「米国で流行っている時計、ストリートファッション系のG-SHOCK」という感じで、輸入雑貨店などに並ぶようになったようなんですね。なので、日本では外で働く人というよりは、ストリートファッション系の若者を中心に支持していただくことになりました。

 95〜97年にかけては、まさにバブルでしたね。「行列(ができるほどのヒット商品)」という言葉のはしりだったって聞いてます。

取材当日、伊部さんの腕にあったのは初代G-SHOCK「DW-5000C-1A」だった

「安くていいもの」を作りたい

――ところで、今は伊部さんはG-SHOCKから離れたと伺っていますが、最近はどういう時計を作っているのですか?

伊部 今は時計のエンジン(モジュール)を作っています。設計ではなくて、企画ですね。特に私はローエンド、日本では売られていないことも多いモデルを担当しています。私、ローエンド大好きなんですよ。目立たないやつ(笑)。

――もしかして、G-SHOCKとかOCEANUSとかブランド名が付かない、「CASIO」というロゴが付いて売られている製品ですか?

伊部 そうです、そういうのです。あまり注目もされないし、花形でもないので、若い人はあまりやりたがらないと思うんですけど……プロモーションも打たないし、売れて当たり前、失敗が許されない。みんなもアイデアを出さない、そういうところがあります。G-SHOCKとかだと船頭さんというか企画に関わりたい人もたくさんいますけど、ローエンドは自分のストーリーだけでやりやすいんですよね。

 それと、自分のベースの中に「いいものを安く」というのがあるんだと思います。いいものがあっても、高くて買えない人は世界中たくさんいるでしょう? 気に入ったものを買ったときって、値段関係なくとてもうれしい気持ちになりますよね。私の一番のよりどころとして、高い時計を買えない人にも、そういううれしさを味わってほしい……そういうところがあるんですね。

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