原発から20〜30キロ、住み続ける決断をした人々の声を聞く:東日本大震災ルポ・被災地を歩く(4/4 ページ)
9月30日に解除された緊急時避難準備区域。原発20〜30キロ圏内で、計画的避難区域ではないこの地域。住み続ける決断をくだした人々の声を聞きに行くと、それぞれの思いがあった。
学校は再開するも、放射線量への不安も
10月22日、「震災から3カ月 南相馬に住むということ」でも取り上げた、南相馬市原町区に住む三条美雪さん(48)宅を訪れた。
三条さんの家では、長女の志賀英恵ちゃん(6)と次男の志賀文博ちゃん(3)が出迎えてくれた。緊急時避難準備区域が解除されたこともあったためだろうか、2人は外で遊んでいた。しかし、2人が遊んでいる場所の近くにある側溝は、依然として毎時1マイクロシーベルト以上を記録していた。それを見ると、三条さんは不安の色を隠せないでいた。
三条さんは長女と次男を連れて、夏休みに鹿児島県鹿児島市や山梨県河口湖町にホームステイをしていた。三条さんはその最中は気分が高揚していたが、帰宅すると放射線量が気になって、再び不安がよぎったという。
そんな心配をよそに、国は緊急時準備避難地域を解除。南相馬市は10月17日、津波被害で修復が必要な学校や比較的放射線量が高い学校を除いて、同地域にあった学校(3小学校、2中学校)を再開することになった。児童・生徒数は震災前の2173人から、現在は887人と約4割に減っている。
「市はメッシュ調査をして放射線量を公表したけど、線量が低くても心配。解除後に子どもがどのくらい戻ってくるのか気になって、毎日、ネットで調べている。ネットサーフィンをしたり、Twitterをチェックしたり。図書館も8月に再開した。行くところがないから行ってみたりする。いろんな人と話すけど、親の意識もバラバラ。私はのん気な方だと思っているけど、ニュースをチェックしたり、ネットや新聞を見たりして、子どももおかしいと思っているはず。素人にどう判断しろというのか」
学校が再開したことを英恵ちゃんはどう思っているのかを聞いてみた。
「戻って良かったよ。だって、体育館では遊べなかったんだもん(間借りしていた同市鹿島区の小学校では、中学校が体育館に教室を開設していた)。今は、(元の学校に戻ったので)体育館が使えるんだ」
「何事もなかったかのような風潮が耐えられない」
そう笑顔で話していた。体育館で遊べるかどうかを気にしているということは、外では遊べないということらしい。
「学校の説明では『外で遊ぶかどうか、送迎をするかどうか、送迎時にはクルマかどうかは家庭の判断で』となっているんです。でも、そう言われてもねえ。安全かどうか分からないところで、住む・住まないの選択をしろというのも難しい。そんな中で、徐々に通常モードになっていく。何事もなかったかのような風潮が耐えられない。納得がいかない」
話をしていると、英恵ちゃんと文博ちゃんが首から何かを下げているのを見つけた。蓄積線量を測る線量計だ。ガラスバッジと呼ばれている。わずらわしかったようで、「もう取っていい?」と言って、2人とも外してしまった。
見ると、線量の数値は分からないようになっている。10月初旬に郵送されてきて、12月末に回収する。「線量計を子どもに渡すと、数字が上がるのを楽しんで、余計に線量を浴びてしまう」とも言われているために、数値が見えないようにしているのかもしれない。
しかし、三条さんは「これじゃ意味ないんじゃない?」ともらす。しかも、10月からの蓄積線量で、原発事故直後からの蓄積線量ではないために、中途半端さも感じられた。不透明な原子力行政に振り回されている格好だ。
福島第1原発の事故で、人々の意識はバラバラになった。もちろん周辺自治体では原発のおかげで雇用が生まれ、税収があがり、財政もうるおってきた側面もある。しかし、それは原発の“安全神話”が続くことが前提の日常だ。事故が起き、神話が崩れれば、状況は異なってくる。特に、小さな子どもがいるかどうかでも、悩みは変わってくるだろう。
渋井哲也「東日本大震災ルポ・被災地を歩く」バックナンバー
→東日本大震災ルポ・被災地を歩く:3月31日の卒業式――福島県相馬市立磯部小学校
→東日本大震災ルポ・被災地を歩く:南相馬市、原発20キロ圏内に入る(前編)
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→東日本大震災ルポ・被災地を歩く:原発20キロ圏内、さらに奥へ――福島第一原発を目指す
→東日本大震災ルポ・被災地を歩く:冠水、悪臭、ハエ――震災から3カ月、被害が拡大している現実
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