検索
連載

原発から20〜30キロ、住み続ける決断をした人々の声を聞く東日本大震災ルポ・被災地を歩く(3/4 ページ)

9月30日に解除された緊急時避難準備区域。原発20〜30キロ圏内で、計画的避難区域ではないこの地域。住み続ける決断をくだした人々の声を聞きに行くと、それぞれの思いがあった。

PC用表示 関連情報
Share
Tweet
LINE
Hatena

「40年のツケを払うしかない」

 住宅地に行くと、住民がほとんどいない。そのため、警察官がパトロールをしていた。15時になると、町役場の防災無線で1時間あたりの放射線量をアナウンスしていた。


地震の被害にあったセブン-イレブン。被災地では震災当初から開いていたセブン-イレブンだが、広野町では開いていなかった

 「本日、午後3時現在、役場国道側芝生における放射線量は、1時間あたり0.51マイクロシーベルトでした」

 何人かは歩いてはいるものの、ほぼ誰もいない中での防災無線のアナウンス。学校に通うような子どももおらず、町としての“気配”を感じない。そんな中、避難せずに住み続けている木幡芳久さん(塗装業)の話が聞けた。

 「地震と津波の翌日、近くの集会所に(住民たちが)集まったみたいだ。そして、12日15時にいなくなった。説明があったみたいだが、俺は家にいて、分からなかった。その後18時に家の前にパトカーが止まって、『出て行ってください』と強制退避になった。そのため、(いわき市の)四倉の姉の家に避難したんです。21時ごろ着いたかな。そしてテレビを見たら、(原発事故のニュースで)ドカン、ドカン、やっていた」


震災翌日、家の前にパトカーが止まり、いわき市に強制退避した木幡さん。補償金請求の書類は書く項目が多すぎて困惑している

 翌日、木幡さんは戻って来たという。

 「戻ってくると、(福島第1原発から)30キロのところで警察が検問をしていた。勇気のある人は入ってきていた。俺も、楢葉の役場まで行ったよ。双葉の八町村は何かと40年間うるおってきた。40年のツケを払うしかない。俺はそう思ってる。東京電力だけが悪いわけではない。俺みたいな考え方の人もいっぺ。ふざけんでねえ、って人もいる」

 東京電力から補償金の請求についての書類が配られているが、記入するところが多すぎて木幡さんは「これじゃ、書く気にならない」と混乱している。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ページトップに戻る