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» 2014年11月20日 08時00分 UPDATE

新連載・烏賀陽弘道の時事日想:朝日やNHKが選ばれない時代に、私たちが注意しなければいけないこと (1/4)

インターネットが勃興し、新聞やテレビといった旧型マスメディアが衰退しつつあると言われている。結果、何が変わったのか。筆者の烏賀陽氏は「ニュース・センターが消滅した」という。その意味は……。

[烏賀陽弘道,Business Media 誠]

烏賀陽弘道(うがや・ひろみち)氏のプロフィール:

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フリーランスの報道記者・フォトグラファー。1963年京都市生まれ。京都大学経済学部を卒業し1986年に朝日新聞記者になる。週刊誌『アエラ』編集部などを経て2003年からフリーに。その間、同誌のニューヨーク駐在記者などを経験した。在社中、コロンビア大学公共政策大学院に自費留学し、国際安全保障論で修士号を取得。主な著書に『Jポップとは何か』(岩波新書)、『原発難民』(PHP新書)、写真ルポ『福島飯舘村の四季』(双葉社)、『ヒロシマからフクシマヘ 原発をめぐる不思議な旅』(ビジネス社)などがある。

本連載について:

 本連載「烏賀陽弘道の時事日想」は2週に1回、情報カオスの時代を泳ぎ切るためのメディア・リテラシー教室「ニュース塾」や福島第一原発事故関連のレポートを書いていく。


 連載初回ということで、軽い自己紹介を兼ねた昔話から始めよう。

 報道記者の仕事を始めて間もなく28年になる。この間、プリントメディアの最盛期から始まり、インターネットが勃興し、旧型メディア(新聞・雑誌・書籍といった紙媒体とテレビ・ラジオの電波媒体)を追い越し、マスメディアの主流に座るまで、メディアの大革命とずっと並走している。500年に一度のメディア大革命を職業として体験しているのだから、幸運としか言い様がない。

 1986年に大学を出て三重県津市で『朝日新聞』の記者になったころは、紙の原稿用紙にボールペンで原稿を書いていた。送稿はファクスと漢電テレタイプ(有線または無線で文字を送ることができる)が半々だった。1989年に名古屋本社勤務になったころにワープロ原稿をパソコン通信で送るようになった。1992年に米国の大学院に自費留学したとき、初めてPCとインターネットを使った。1998年に週刊誌『アエラ』のニューヨーク駐在記者になったときには、ノートPCとインターネットで東京への送稿やネット検索が当たり前だった。

 2003年にフリーになった後は、インターネット媒体と書籍を中心に執筆している。3.11のときは津波や原発災害の被災現場の記事や写真をTwitterやFacebookなどSNSで発表して、世界中から反響をもらった。

 新聞やテレビといった旧型マスメディアが衰退して何が一番変わったかと問われれば、私は「ニュース・センターの消滅」を挙げる。かつて、『朝日新聞』や『日経新聞』、NHKの夜7時か9時のニュース、あるいは『ニュースステーション』を見れば、社会が何に関心を持っているかが分かった。新聞やテレビが「社会はこれとこれに関心を持ち、議論すべきだ」というメニューを用意していたのである。

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