ケネディの娘は父が果たせなかった「日本への想い」を成し遂げるのか?伊吹太歩の世界の歩き方(2/3 ページ)

» 2013年08月15日 07時00分 公開
[伊吹太歩,Business Media 誠]

 オバマが彼女を指名したのには、日本に対して「安心」を与える意味もあったようだ。日本には今も、1998年に当時のビル・クリントン大統領が日本を迂回して中国を訪問し、日本政界が大騒ぎした「ジャパン・パッシング(日本軽視政策)」のトラウマが残っている。米政府がアジアに重心をシフトする中、アジアでは中国の影響力が高まり、さらに中国は日本への挑発行為を繰り返している。米政府は、同盟国の日本が中国よりも「軽視」されているのではないかと不安に思っていることを分かっている。

 米国の「ロイヤルファミリー」の一員であり、JFKの子供として最後に残ったキャロラインを、オバマが特別視していることは紛れもない事実だ。彼女は2008年にオバマ支持を表して、オバマ大統領誕生に大きな役割を果たした。さらにその支持表明には、ニューヨークタイムズ紙に寄稿して、オバマが歴史上の偉大な大統領である父の姿に重なるとまで書いた。

 そんな人物を日本に送り込むオバマは、日本を軽視していないという意思を示したことになる。少なくともオバマは、日本側にそう受け止められることは重々承知し、それを狙った可能性が高い。ちなみにキャロラインに与えられた選択肢、カナダと日本はどちらも、米国にとって切っても切り離せない(そして裏切らない)大事な同盟国である。

現職の米大統領として初来日を考えていたJFK

 キャロラインの側には、JFKの最後に残った子供として日本を選ぶにいたった理由が見える。父のケネディ元大統領には、日本に対する「思い入れ」があったのだ。彼女にはその意思を引き継ぐという意味合いもあるのではという声も聞かれる。

 JFKと日本は、あまりポジティブに重ならない。その理由は、大統領任期中に日本に対して何か大きなメッセージを送ったというような話が語られないからだろう。一方で、第二次大戦中にソロモン諸島などでJFKが日本軍と戦ったという話は時々目にする。

 実際には、JFKは当時関係が悪くなっていた日米の同盟を重要視していた。大統領に就任してしばらくして、友好を示す目的で、実の弟であるロバート・ケネディ司法長官(当時)を日本に派遣した。1962年当時の映像には、大歓迎の中、妻と一緒にタラップを降り、日本政府高官らと握手するケネディ夫妻の姿が映っている。この訪問の前の1960年、当時のドワイト・D・アイゼンハワー大統領が岸信介首相の招待で日本を訪問する予定だったが、日本の治安悪化で中止になった。ロバートの訪日は、そんな日米関係の微妙な空気を和らげた。

 JFKが暗殺された当時、ケネディ政権は現職大統領として史上初となる日本訪問を計画していた(JFKは下院議員時代の1951年にロバートと一緒に日本を訪れている)。さらには第二次大戦で直接戦った日本の元軍人との友好的な面会も望んでいた。日米関係の重要性をJFKはしっかりと認識し、自らがその地に降り立って日米の歴史に自らの名を刻むことを望んでいた。

 キャロラインはケネディ家の栄光を残すことにこれまでも力を入れてきた。ジョン・F・ケネディ大統領図書館の館長を務め、ケネディ家の家族に関する著書も出版している。最後に残ったJFKの子供として、ケネディ家の番人であると自覚しているとの評判だ。そして、JFKの果たせなかった日本訪問を果たすことになるのだ。因縁というか、運命というべきか。ケネディ家にはこういうドラマチックな話がつきものだ。

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