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» 2012年11月02日 11時30分 UPDATE

「政治もマスコミも“福島”を収束させようとしている」――南相馬市長が語る復興の現実 (1/3)

福島第一原発のすぐ北に位置する南相馬市。いまだ2万3000人以上が避難生活を送っている同市だが、桜井勝延市長は日本外国特派員協会で行った会見で「政治も日本のマスコミも、事故が収束したかのような報道の中で、“福島”を収束させようと思っているかのように感じる」と語った。

[堀内彰宏,Business Media 誠]

 福島第一原発がある福島県双葉郡のすぐ北に位置する南相馬市。震災と津波、原発事故で大きな被害を受け、震災発生直後の2011年3月26日、桜井勝延市長がYouTubeへの動画投稿を通じて、生活物資が足りない窮状を世界に訴えたことが反響を呼んだ。

 震災から1年半、日本では税金や領土問題など、震災以外のニュースが大きく報じられるようになり、相対的に被災地の状況が伝えられなくなっている。こうした中、桜井市長は日本外国特派員協会で行った記者会見で、いまだに多くの住民が避難している現状を訴え、復興に向けての課題を述べた。その内容を詳しくお伝えする。

ah_sakurai1.jpg 南相馬市長の桜井勝延氏

南相馬市ではいまだに2万3000人以上が避難生活を送る

桜井 2011年3月11日に起こった東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が、南相馬市を含めて福島原発周辺にもたらした影響が今どうなっているのかをしっかりと伝えていく責務があるので、今日こういう場に立たせていただくことに本当に感謝したいと思います。世界各国のみなさんが日本に支援していただいて、今も支援し続けていただいていることに改めて感謝申し上げます。

 日本のメディアはともすると、福島第一原発事故が収束しつつあるかのように報道しているかのように思えます。確かに、南相馬市民7万1000人が一時期1万人を割り込むまで避難を余儀なくされましたが、今は4万5500人の市民が戻って市内で生活しています。ただ、南相馬市が65%以上戻っているのに比べて、7万6000人と同じ人口を抱えていた双葉郡の8町村で今戻れている人口は2000人にも満たない状況です。

ah_sakurai2.jpg 震災前の人口(出典:福島県公式Webサイト)

 同じ30キロ圏内の南相馬市と双葉郡で、なぜこんなに違うのか。それは南相馬市には国から連絡をまったく受けなかったために避難しなかった市役所があって、一方、双葉郡では国主導で役所を避難させた町村が多かったからです。

 南相馬市は不幸にして国から連絡が来なかったのですが、市民は避難させました。6万人以上が避難したのですが、役所としては「(残った)1万人を支えないといけない」という思いから、役所機能は避難させませんでした

 双葉郡は役場ごと避難しました。3000人の川内村で戻っているのは750人、5800人の広野町で戻っているのは500人弱です。一方、南相馬市は4万5000人、ほかから移り住んできた人も含めると、今5万人弱が住んでいます。

 南相馬市は3.11以降、1日も役所機能を休んだことがありません。双葉郡の8町村の役所はすでに市外に避難していますので、もとの役場機能を復活できていません。最近、川内村と広野町が役場機能を復活させているのですが、南相馬市との違いは歴然としています。

 放射線量を比べれば、当時も現在も南相馬市よりは広野町や川内村の方が低いんです。役場機能、政治機能が維持されることと維持されないことの差がどれほど大きいかお分かりになると思います。

 先ほど「原発事故が収束したかのような報道がされている」と申し上げましたが、現実は「まったく変わっていない」と感じている人が多くいることを承知していただきたいと思います。

 野田佳彦首相は2011年12月16日に原発事故の収束を宣言しました(参照リンク)。しかし、南相馬市や双葉郡の現実を考えると、南相馬市で2万3000人を超える人たち、双葉郡では7万4000人を超える人たちが現在も避難生活を余儀なくされています。家族が一緒に生活できる環境がほぼありません。それは南相馬市に戻っている市民も、避難している双葉郡の市民も同様です。

 野田首相が大飯原発の再稼働を決めた日、私は仮設住宅の住民と懇談会をしていました。避難している市民は私に「我々は捨てられたのか」と言いました。なぜかというと、野田総理大臣は就任直後に「福島の再生なくして日本の再生なし」と言いました(参照リンク)。避難させられている住民からすると、「自分たちは捨てられたんだ」という感覚を持ったんだと思います。自分たちの仕事が奪われ、家族がバラバラにされている現実がある一方で、電力不足という名のもと、原発が再稼働されていることに対する怒りだと思います。

 少し視点を変えて、なぜここでお話をさせていただくか、述べさせていただきます。

 3月12日の原発事故以降、日本のマスコミは南相馬市を含めて30キロ圏外へと去っていきました。一方で、住民の多くが残されていた現実がありました。私がYouTubeで3月24日に世界中に発信して以降、世界中のメディアが私のところにやってきました。日本のメディアが我々のところに戻ってきたのは6月下旬、そして7月の南相馬市で牛肉からセシウムが発見されたという報道以降です。

 南相馬市は震度6弱の地震と20メートルを超える津波で4100ヘクタールを失いました。636人が津波で命をなくしました。原発事故で避難を余儀なくされたことで350人が命を落としました(参照リンク)。

 この亡くなられた方々の家族や知人、友人がどれほど心を痛めているか伝わっているか。私は伝わっていないんじゃないかと思っています。彼らの心が癒やされているわけではないし、避難生活を余議なくされている人たちの心の内はより深刻です。

 命があることと命がないことの差がどれほど大きいかを述べたいと思います。津波で亡くなられた方の中には、幼い子どもたちから年配の方々までいらっしゃいます。南相馬市は加えて原発事故で350人もの方々が命をなくされているんです。津波を経験せずに、原発事故で放射能汚染だけされた方々にとっては、放射能汚染されたことで世界がすべて失われたかのように感じている市民も多くいます。

 確かに除染は大切ですし、生活環境を取り戻すことは何よりも重要です。命がある人にとって精神的な苦痛は大変だと思いますが、行動でき、話すことはできます。この生きている人たちが、希望を持って生活できるようにすることが我々の使命です。我々政治をあずかる者にとっては、彼らに希望と仕事を与え、幸せな生活を送らせるようにすることが使命だと思います。

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