警戒区域の解除は南相馬市に何をもたらしたか東日本大震災ルポ・被災地を歩く(2/3 ページ)

» 2012年08月29日 08時00分 公開
[渋井哲也,Business Media 誠]

エム牧場入口は警戒区域ギリギリ

 警戒区域の一部解除で、南相馬市原町区の馬事公苑近くの国道34号線の検問所はなくなり、南の浪江町との境にバリケードが設置された。しかし、警備する警察官はいない。

 バリケードが設置されたのは、原発事故後に何度も訪れているエム牧場(吉沢正己農場長)の入り口(「原発から14キロ、浪江町のエム牧場で生き続ける動物たち」)。エム牧場は福島第一原発から約14キロ地点。私が最初に訪れたのは2011年3月下旬だったが、吉沢さんはそのころから警察の制止を振り切ってまで牧場に餌やりに来ていた。

エム牧場入口は警戒区域ギリギリ

 「牛を置いて逃げるわけにはいかなかった」

 吉沢さんは当時の気持ちについてこう話している。

 もちろん牧場の牛を肉牛として出荷することはできない。2011年5月、農水省は、警戒区域の中の家畜について、飼い主の同意を得て、殺処分する方針を打ち出したが、吉沢さんは意味なく殺処分に応じることはしないという。

 2012年2月には福島第一原発の正門前付近で事故に遭い、脊髄を損傷していた子牛「ふくちゃん」を保護した。だが、牛舎で世話を続けたものの、ふくちゃんは3月に永眠した。

3月に亡くなったふくちゃん(2月27日撮影)

 6月には、楢葉町の旧ファーム・アルカディアから67頭の牛を移送した。牧場主の体調不良で、そのままなら殺処分が下される可能性が高かったからだ。

 「このままでは殺処分になってしまうところだった。エム牧場でもいっぱいいっぱいだが、協力するしかなかった」と吉沢さんは言う。警戒区域で生きる動物を死なせたくないという気持ちは、最初から変わっていない。エム牧場には事故前から飼っていた肉牛のほか、事故後に保護した牛も含めると、300頭以上が生息している。

 毎週金曜日に行われる首相官邸前の抗議集会や渋谷の街頭でも、吉沢さんは「浪江町はチェルノブイリになってしまった」と、原発事故の悲劇を訴え続けている。

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