1969年、栃木県生まれ。フリーライター、ノンフィクション作家。主な取材領域は、生きづらさ、自傷、自殺、援助交際、家出、インターネット・コミュニケーション、少年事件、ネット犯罪など。メール( hampen1017@gmail.com )を通じての相談も受け付けている。
著書に『自殺を防ぐためのいくつかの手がかり』(河出書房新社)、『実録・闇サイト事件簿』(幻冬舎)、『解決!学校クレーム』(河出書房新社)、『学校裏サイト 進化するネットいじめ』(晋遊舎)、『明日、自殺しませんか?』(幻冬舎)、『若者たちはなぜ自殺するのか?』(長崎出版)など。メールマガジン 「週刊 石のスープ」を刊行中。
5月、被災地の人々の生の声を集めた『3.11 絆のメッセージ』(被災地復興支援プロジェクト)を出版。共著に『風化する光と影』がある。
2011年3月に発生した福島第一原発事故後、同原発から半径20キロは警戒区域となり、自由に立ち入りできなくなった。しかし、2012年4月1日に警戒区域は一部解除され、「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」「帰還困難区域」※の3つに分けられた。
福島県内で「浜通り」と呼ばれる沿岸部にある南相馬市小高区は、ほとんどのエリアが「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」に該当。宿泊はできないが、検問所やバリケードが解かれたため、立ち入りできるようになった。
これまで警戒区域のラインになっていたのは、福島原発の北側では南相馬市原町区の国道6号線、同原町区の馬事公苑近くの国道34号線、浪江町津島の国道114号線、福島原発の南側では楢葉町のJヴィレッジ付近の国道6号線など。
そのうち南相馬市原町区の国道6号線では、福島原発から約20キロ北の太田川近辺で検問を行っていた。それが4月以降は南相馬市と浪江町との境近辺、福島原発から約12キロ北の小高区下浦に移動した。
私が7月に検問所を訪れた時、警備をしていたのは群馬県警。これまでの検問所での取材では質問に答えてくれる警察官が多かったのだが、この時はほとんど答えてくれず、ピリピリしている様子がうかがわれた。
検問所に近付いて写真を撮ろうとすると……
警察官 そこから、向こうは入っちゃだめ。
筆者 そこって具体的にどこですか? 写真を撮るだけですが。
警察官 具体的にってのはないけど、とにかくだめ。
筆者 どうしてだめなのでしょうか? ここはまだ警戒区域のラインですか?
警察官 (ラインとは)違うけど、検問の邪魔になりますから。
……といったやりとりになった。これまで警察はこんなに細かな対応をしていなかった。
警戒ラインでの検問所警備は数週間で警視庁や他道府県警と交代するのだが、統一された対応はない。今回、厳しかったのは偶然かもしれない。実際に検問の邪魔になっていれば、公務を妨害していることになるのが、撮影していた場所は検問所から数十メートルも先だ。私にとって、ここまでピリピリしている警察官と出会ったのは初めてのことだった。
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