新幹線「300系」は、なぜスピードを追い求めてきたのか杉山淳一の時事日想・新連載スタート(1/4 ページ)

» 2012年02月03日 12時45分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

杉山淳一の時事日想:

産業革命以降、鉄道は物流の軸となり、移動の要となって、私たちの暮らしを支えてきた。航空路や高速道路網の発達などで、一時的には鉄路衰退の兆しもあったけれど、エコロジー、エコノミーの観点から、再び鉄道網への期待が高まっている。高速鉄道網の整備、ローカル線の存続問題など、いま、鉄道と社会は新しい関係をつくろうとしている。身近な鉄道に向ける興味は、社会への関心へとつながっていく。金曜日の時事日想は、身近な鉄道を通して、現代社会の諸問題やビジネスのヒントを見つけていく。


 東海道・山陽新幹線の300系電車が、3月17日のダイヤ改正を前に引退する。1992年のダイヤ改正で、東海道新幹線の「のぞみ」用として誕生した電車だ。今でこそ「こだま」用車両として、のんびりと各駅停車しているが、この300系こそ、世界の高速鉄道の可能性を切り開いた画期的な車両だった。なぜなら鉄道車両として初めて「航空機と競う」という目的で造られたからだ。

浜松町駅付近を走行する300系新幹線電車

300系が誕生した背景

 300系「のぞみ」の誕生は1992年3月14日。東京―新大阪間で、朝と夜に1往復ずつ。特に朝の下り「のぞみ」はノンストップだった。JR東海の本社がある名古屋と、国際的観光地の京都を通過した。両地域からは厳しく批判されたが、JR東海はそれほど東京―新大阪間のスピードアップにこだわった。

 その背景には、日本の航空政策の転換があった。

 のぞみの運行開始から4年前の1988年。JR東海で次期新幹線車両の開発プロジェクトがスタートした。新幹線車両「100系」の次のテーマを決定する必要があった。「0系」は日本の鉄道の最高技術を具現化した。100系はその改良と、2階建て車両に象徴されるサービス面の向上がテーマだった。

 では、次の300系はどうあるべきか。

 それは「さらなる速度向上を実現し、航空機に挑む」だった。「ひかり」より速い「スーパーひかり」を走らせる。いや、走らせなければならなかった。

 世界最速の新幹線が、さらなるスピードアップを求めた理由は何だっただろうか。

 その理由のひとつは、1971年に開業したフランスの高速列車「TGV」である。フランスは東海道新幹線の開業直後からTGVの研究を本格化させた。ライバルはもちろん日本のシンカンセンだ。そしてTGVは1972年に試験列車で時速318キロを達成し、世界最速の座を新幹線から奪取した。1981年の開業時は営業速度時速260キロで、これも当時の新幹線を上回る。鉄道ファンのみならず、多くの日本人が悔しい思いをした。東海道新幹線の関係者なら、なおさらのことだろう。

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