なぜ若者はテレビ離れしているのか、制作会社から見たテレビの現在嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(3/4 ページ)

» 2011年09月09日 20時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

若い人材が定着しにくい苛酷な業界環境

 産業としてのライフサイクルが成熟期を迎え、やがて衰退期に移行していくことが明確になった時、一般の企業や業界においては、イノベーションを喚起することで「脱・成熟化」を断行し、新しいライフサイクル曲線に乗り換えることで生き残りを図る。

 そしてそのカギを握るのは、言うまでもなくイノベーティブな若い人材であり、それを育て生かしていく組織能力である。しかし、日本のテレビ業界を現場で支える番組制作会社を取り巻く環境は、こうしたイノベーションを創発できるような状況にはなさそうだ。

 「新卒(4大卒)を10人採用しても、入社式の時点で早くも7人に減っていたりします(笑)。それが3カ月後には5人に減り、3年後には誰もいなくなっていたりするんですよ。3年後でも全員残っている年次もありますから一概には言えないのですが、それにしても若い人材が定着しにくい業界であることは間違いありません。仕事の大変さの割にギャラが少ないことや、彼らにとっては第1希望であっただろう民放キー局との待遇の差が直接的な原因でしょう。この業界は、本当に“好き”じゃないと続かないのです。一般に女子の方が長く続く傾向があります」

ザ・ワークス公式Webサイト

 このように述べる霜田さん自身も、そうした環境の中で生き残ってきた1人であり、その人生行路を知ることで、業界の厳しい状況を実感することができる。

 1961年に生まれた霜田さんは、広告のスチールカメラマンになりたくて東京工芸短大に進学。在学中は、宣伝会議に通って勉強を重ねたほか、電通のラテ局でアルバイトに励んだという。

 卒業後は番組情報誌『ザ・テレビジョン』で契約社員として働き、1年半後に退職。友人たちとプロモーションビデオを制作する会社を起業する。しかし、思うように仕事は来ず、10本300万円でカラオケビデオを制作するなどしているうちに元請企業が倒産。

 多額の負債を抱えた霜田さんは借金を返済するために東通企画に入り、助監督からスタートしてドラマ作りに携わるようになったが、1993年に同社は東京支社を閉鎖し、それに伴い霜田さんも退職。同年、契約プロデューサーとして『裸の大将』(東阪企画制作、フジテレビ系列、芦屋雁之助主演)の制作に従事する中でザ・ワークスの監督の知遇を得て、1994年に同社に入社し、現在に至っている。

 霜田さんは現在、常務取締役プロデューサーというポジションにあるが、タイトなスケジュールをこなす日々が続いている。

 例えば、ドラマの撮影が入っている時は、夜明け前後に現場に向かい、立ち会いを終えると、そのまま出社。出社後はシナリオの打ち合わせ、キャスティングの交渉、ギャラの交渉その他の業務に追われ、一息つく間もなく、夜になると今度はプレビュー。帰宅は深夜になるというスケジュールが日々繰り返されていく。

 こうした霜田さんのキャリアパスや日々の繁忙ぶりを見ても分かるように、この業界の個々の企業においては、若く優秀な人材をいかに育てイノベーションをどう創発するかという以前に、1日1日をサバイブしていくことに全力を傾注せざるを得ない厳しい状況であることがよく分かる。

 しかし、だからと言って、このまま推移するならば、すでに述べてきたように、業界環境はいよいよ過酷化し、企業としての存在自体が危ぶまれることは間違いない。

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