リーマンショック後、転職マーケットで起こったことメディアとWebと人材と(1/2 ページ)

» 2011年07月20日 08時00分 公開
[中嶋嘉祐,Business Media 誠]
誠ブログ

 誰もが知っている有名IT企業を転々としてきたアラフォーのプロジェクトマネジャー、数億円規模の事業を立ち上げたこちらもアラフォーの新規事業開発経験者。“勝ち組”に分類されそうな、このような経歴の2人。リーマンショック以降の転職市場でどのような評価を受けたと思いますか?

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 2人の顛末については後述するとして、まずはリーマンショック後の転職市場について説明させてください。ご存じの通り、リーマンショック後、転職マーケットは急激に冷え込みました。リクルートやエンジャパンといった業界の雄がどちらも数十%という規模で社員をリストラしたことからも、マーケットの冷え込み具合を察していただけるのではないでしょうか。

 一方、求職者側の状況はどうなっていたのでしょうか。人材業界ほどではないにせよ、各業界でリストラが進み、求職者の数は急増。求人情報サイト側は広告費を劇的に減らしながらも、会員登録者数は十分に確保できている状況でした。

 限られた求人に応募が殺到したわけですから、応募後の合格率は通常時よりも格段に悪化。感覚値で10分の1くらいには減っていたでしょう。私は当時、人材紹介会社に近いところで動いていましたが、求人広告業界だけではなく一般の人材紹介マーケットも悲惨な状況になっていました。

 その時に印象的だったのが、求人企業側が一切妥協してくれなかったこと。リーマンショック以前は「応募要件は満たしてないけど、ポテンシャルがあるから」といった書類だけでは分からない合理的な説明を加えていれば、多少条件を満たしていなくても書類選考をパスできていました。それがリーマンショック後は、応募が十分すぎるほど集まる状況。求人企業側は妥協する必要がなく、自社の求める人材がピンポイントで来てくれた時だけ書類を通す。そんな状況だったのです。

 野球に例えるなら、リーマンショック前はストライクゾーンに勢いのあるボールを投げていれば受け止めてくれていました。それがリーマンショック後は、構えているミットの場所に寸分違わず、指定の球種で投げ込まないとキャッチしてくれない。それくらい厳しい印象を受けていたのです。

“市場価値”を見誤っていたプロジェクトマネジャー

 さて、冒頭で挙げたアラフォーのプロマネの方の話。こちらは人材紹介会社ブリンガの中川富士子社長からうかがった話になります。

 同社にもリーマンショック後、リストラ対象になった方など、求職者が常以上に集まっていました。中川社長を始め、同社社員の方々が転職のサポートをされる中、一番苦労されていたのがアラフォー以降の方々の支援でした。数カ月〜半年ほど離職されていた方も、ざらにいらっしゃったようです。

 そんなわけで、冒頭に挙げたようなプロフィールの方はその典型例。苦戦した理由は市況の影響も大きかったのですが、それ以上に、企業で求められているスキルを身に付けていらっしゃらなかったこと、能力や実績と比べて年収が不相応に多かったこと、が災いしていたのです。

 なぜそのようなキャリアを築いてしまったのか。「転職すれば年収が上がりますよ」「こんなに有名な企業に転職できますよ」といった、好景気のころに利用していた人材紹介エージェントの甘言に乗ってしまったからです。実践的なスキルを身に付けておらず「外注管理ができます」としか言えないキャリア。結果的に転職回数だけが増えてキャリアやスキルは上がらず、その後の転職には不利になってしまったのです。長期的なキャリアのことを考えず、“会社依存”になっていたのに安易に転職を繰り返したツケが回ってきたのでしょう。

 話が脱線しますが、世の中には真摯(しんし)にキャリアのことを一緒に考えてくれる人材紹介会社がある一方、人材紹介を「ビジネス」としてだけ考えている会社も残念ながらあります。後者は特にリーマンショック後に淘汰されたようですが、今後1人でも多くの方が前者のようなエージェントと出会い、建設的な転職やキャリア構築ができることを祈っております。

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