なぜ被災者を受け入れたのか? 新潟県三条市の市長に聞く相場英雄の時事日想(1/4 ページ)

» 2011年06月16日 08時00分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]

相場英雄(あいば・ひでお)氏のプロフィール

1967年新潟県生まれ。1989年時事通信社入社、経済速報メディアの編集に携わったあと、1995年から日銀金融記者クラブで外為、金利、デリバティブ問題などを担当。その後兜記者クラブで外資系金融機関、株式市況を担当。2005年、『デフォルト(債務不履行)』(角川文庫)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、作家デビュー。2006年末に同社退社、執筆活動に。著書に『株価操縦』(ダイヤモンド社)、『偽装通貨』(東京書籍)、『偽計 みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎』(双葉社)などのほか、漫画原作『フラグマン』(小学館ビッグコミックオリジナル増刊)連載。ブログ:「相場英雄の酩酊日記」、Twitterアカウント:@aibahideo


 東日本大震災の発生から3カ月が経過した。大地震、大津波に加えて福島第1原発事故が発生。福島県浜通り地方の住民は三重の苦しみの中にいる。住み慣れた土地、家族や友人と別れて県内、県外で意図せざる避難生活を強いられる向きも少なくない。震災後いち早く南相馬市の人たちを受け入れた自治体の1つに、新潟県の中央に位置する三条市がある。なぜ受け入れを決めたのか。國定勇人(くにさだ・いさと)市長に話を聞いた。

 三条市は筆者の出身地でもあり、2004年7月13日に発生した大洪水で甚大な被害を受けた経緯がある。被災経験を持つ市長や市民が、今般の震災被害者にどのような形で手を差し伸べたのか。

(A)が新潟県三条市(出典:Google マップ)

最初の1カ月間で腐心したこと

――南相馬の皆さんと接する上で心がけていることは?

 最初の1カ月間で腐心したのは、3月11日のことは絶対に聞かないということだった。また、できる限り、彼らに頭を下げさせないということに気を遣った。本来ならば、避難された皆さんは我々に気を遣う必要などないからだ。

 彼らから頭を下げられそうになる前に、避難所生活や震災とは一切関係のない話題に触れ、こちらから話し掛けるようにしている。同じ目線で彼らもモノを言える環境を作ることが大事だと考えた。

 ただ、反省点もある。同じ目線を心がけていても、どうしても被災された方々にしか分からないことがある。例えば、避難所を出て、市内の公営住宅や民間の賃貸に移られる方々からこんなことを聞いた。

 引っ越しに際し、彼らは暦の「大安」にこだわった。こちらとしてはいち早く移動してもらいたいと考えたが、彼らから返ってきた答えは違った。

 震災以降、自分の意図しない事柄に振り回されてきたため、避難所からの引っ越しについては自分の意志で、自分のタイミングで行いたいという強い希望があった。その結果が「大安」だったわけだ。同じ目線と言っても、被災者の心中を完全に察することができなかった。

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