“メディア対権力”というおかしな虚構ちきりんの“社会派”で行こう!(1/2 ページ)

» 2011年06月06日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2009年6月5日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


 今年も天安門事件の日が巡ってきました。あれから22年。事件勃発は1989年の6月4日で、その日に生まれた人はすでに成人を迎えています。

 20年目の一昨年、中国政府はBBCやCNNが中国で放映する事件関係のニュースを、画面を黒塗りする(真っ黒の何も映っていない画面に切り替える)という方法でシャットアウトしたとのこと。にわかには信じがたいような原始的なメディアコントロールです。

 この事件が中国にとっていまだに文化大革命と並ぶ近代史の2大タブー=“存在しなかったかのように扱うべき事件”だということがよく分かります。

 1989年は特別な年でした。ゴルバチョフ氏の英断がベルリンの壁の崩壊に結実し、世界中の共産国では何が起こっても不思議ではない緊迫した1年だったのです。

 天安門広場に集まり、民主化を求めた中国の若者たちは、自分たちに突っ込んできた戦車に目を疑ったことでしょう。ちなみに日本では、この年に“昭和”という時代が終わっています。

出典:天安門地区管理委員会

 今、ちきりんが見ている韓国ドラマは、ちょうど光州事件(1980年5月18日〜。天安門事件と同様、民主化を求める民衆に対して軍が武力行使をし、多数の民間人の死傷者が出た)という韓国での民主化運動を扱っているドラマです。

 こちらの事件でも、軍の指揮をとっていた全斗煥氏は「メディアコントロール」を非常に重視しており、ソウルから離れた光州で何が起こっているかを全国紙にもテレビにも一切報道させませんでした。

 それどころか新聞やテレビを通して、「光州で騒いでいるのは北(共産勢力)のアカどもだ」という報道をさせ、国民に「従って武力鎮圧されても仕方のない奴らなのだ」という印象を植え付けようとしたのです。

 光州の市民たちは怒り、自分たち国民に銃を向ける軍人と闘うと同時に、まったく真実を報道しないメディア企業の建物にも放火します。これは彼ら民主化勢力が、軍部だけではなくメディア自体も「権力側」にいるのだということを(もしくは、メディアというのは非常にたやすく権力に寝返るものなのだということを)その時点でよくよく理解していたことを示していると思います。

 こういったメディアコントロールは、政府が絡む大事件においてはどの国でも常に行われます。天安門事件では、当時最後まで報道を続けていたCNNの事務所に、中国の警察が押し入って報道を停止させたそうです。

 しかし、そのCNNも含めた米国のテレビ局もまた、2003年にジョージ・W・ブッシュ元大統領がイラクと戦争を始めた当初、米軍の誤爆によりいくつものイラクの小さな民間集落が吹き飛ばされ、子どもらを含む多数の民間人が殺されていることについては一切報道をしませんでした。また、戦争途中から米軍兵の死者数が急速に増え始めても、国内の反対運動の盛り上がりを阻止するため、「米軍側の死者数」について報道することを頑なに(自主)規制していました。

 戦争で自分の息子を失った母親がワシントンDCで抗議のデモや座り込みを始めたことを、「身勝手な貧乏人の母親」ではなく、「この戦争の意義に問題提起をする、国に息子を奪われた母親」として報道し始めたのは、戦争開始から数年後、イラク戦争が大きな間違いであったと米国人でさえ気が付き始めてからのことでした。

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