“メディア対権力”というおかしな虚構ちきりんの“社会派”で行こう!(2/2 ページ)

» 2011年06月06日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]
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メディアが反権力を貫いたことはあるか?

 振り返れば米国ではベトナム戦争の時、刻々と自国メディアが伝える戦地の様子を目の当たりにした国民の間から“ベトナム反戦”の動きが勃興しました。米国政府はそれによって、それまで喧伝してきた「世界の共産主義勢力からベトナムの人民を救うための戦争」という大義を失うという苦い経験をしています。

 その教訓から学んだ米国は、その後に他国に干渉したり戦争したりする際には、必ず徹底したメディアコントロールを始めました。CIAがあちこちの発展途上国に送り込んだ傀儡政権の正当性をひたすら支え続けるのも、米国のメディアの重要な責務です。

 ちきりんが知る限り最も洗練された形でそれが行われたのは、父親の方のジョージ・H・W・ブッシュ元大統領が起こした1991年の湾岸戦争です。

 米国はマスコミを含む民間人の現地への渡航自体を「安全のため」という理由で規制し、代わりに多くの御用記者を「現地ツアー」に連れて行きました。現地の米軍基地内に保護された記者たちは、軍部や政権が見せたいモノだけを見て伝える、というお手盛りの“報道”を余儀なくされたのです。

 その結果、この時の戦争報道では、最先端のレーダーシステムに誘導されたミサイルが、ピンポイントで狙った軍事施設だけを攻撃している(かのように見える)映像を、さながらシューティングゲームの画面のように、世界中が観賞したのです。

 それはリアルな戦争というより、まるで「武器ビジネス用の実践CM」のような映像でした。現実感がなく血の臭いがまったくしない「SF映画のような戦争の映像」が米軍広報やそこに集う記者たちから、世界各国に配信されました。

 もちろん日本だって例外だなんてことはありえません。敗戦の直前まで、大本営発表に沿って「大日本帝国海軍の大進撃!」を伝えていた日本のメディアも、戦後は一転して民主化を支持する報道にくら替えし、「権力の動向に極めて敏感に、その思想を反転させる変わり身の早さ」において、すばらしい才能と節操のなさを発揮しています。

 そんなに古いところに戻る必要もないですよね。国際会議で酩酊した大臣に関してまったく報道せず、外国メディアによってこの不名誉な映像が世界に配信されたのは数年前ですし、今でも記者クラブ加盟各社はあたかも検察の裏広報であるかのように振る舞い、リーク記事を報道する役目に喜々としているように見えます。

 こう考えていくと、どの国においてもいつの時代においても、メディアとはかくも権力に弱く、かくも役に立たないものなのだ、ということを痛感させられます。

 メディアの側にある人たちはしばしば「メディアの基本は反権力である」などと格好のよいことを言いますが、歴史や世界のさまざまな出来事を振り返るに、いったい今までメディアが「反権力」を貫いたという例はいくつあるんでしょう?

 あるとすればそれらの事例はほぼすべてが「個人ジャーナリスト」が反権力であったという事例なのではないでしょうか。戦車の前に立つ市民にしろ、フリーで戦地におもむくカメラマンやジャーナリストにしろ、彼らは“個人”として闘っていたのであり、「メディアという報道機関」そのものが反権力として、最後まで自らの存立を賭けて権力に対抗したことなどいったいどこに例があるのか、という気がします。

 天安門事件22年を迎えて。

 そんじゃーね。

著者プロフィール:ちきりん

兵庫県出身。バブル最盛期に証券会社で働く。米国の大学院への留学を経て外資系企業に勤務。2010年秋に退職し“働かない人生”を謳歌中。崩壊前のソビエト連邦など、これまでに約50カ国を旅している。2005年春から“おちゃらけ社会派”と称してブログを開始。著書に『ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法』がある。Twitterアカウントは「@InsideCHIKIRIN

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