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» 2011年04月11日 08時00分 UPDATE

ちきりんの“社会派”で行こう!:なぜ私たちは“全体最適”を受け入れるのか (1/3)

「全体の最大利益のために、個人の最大利益を捨てる」という“全体最適”の考え方。私たちはその全体最適の考え方をどこで学んできたのでしょうか。

[ちきりん,Chikirinの日記]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2009年4月16日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


 「全体最適」という概念があります。個々の構成員と、その集合体としての組織や全体の仕組みがある時、個々の構成員にとってではなく「全体として最も価値が高くなる方法」を選ぶ考え方です。

 最近よく聞くようになった「トリアージ」。大災害などで治療を要する人が大量に発生し、医療キャパシティがたりない時、専門の医師が治療の優先順位を考える手法のことです。

 優先して治療を受けるべしとされるのは、救急措置が必要な人など「治療の意味のある人」で、その時点で「手を尽くしても、すでに治療の甲斐がない」と判断されると優先順位が低くなります。そしてこの方法により、救える命の数は「全体として最大化」できるというわけです。

 もう1つの例は、倒産しそうになった企業を国が税金で支援すべきかどうかという判断です。りそな銀行や日本航空には国の支援が入りましたが、普通の民間企業が倒産しそうになっても税金での支援などありえません。ここでも「特定の企業に関しては、税金で救うことが国の経済全体の利益になる」という全体最適の理屈が使われ、国の支援が正当化されています。

 この「全体最適の考え方」は決して自然な思考ではありません。一番自然なのは「自分最適」(個別最適)です。子どもは全体最適なんか考えません。目の前にお菓子が4個あって人が4人いても、自分が食べたければ全部食べます。

 一方、「最も栄養が必要な人にまず与える」という考え方、例えば、遭難しているボートの上だと「最初に漕ぎ手に配分する」という考え方は、後天的に学んだり教え込まれたりして、「結果として、そうすることが全員の利益になる」と判断したから、そうするわけです。

 私たちは、この「全体最適で考えることは良いことだ」という感覚を、いつどこで学ぶのでしょう?

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