なぜ私たちは“全体最適”を受け入れるのかちきりんの“社会派”で行こう!(2/3 ページ)

» 2011年04月11日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

(1)仕事を通して、全体最適が合理的な思考であると教えられる

 家庭で「全体最適で考えなさい!」としつけを受けた人は多くないでしょう。また、学校でもそんなことは教えていません。

 成績のいい子が学芸会の研究発表を担当し、運動神経のいい子が運動会で多くの種目に出場し、作業が丁寧な子どもが給食係になれば全体最適ですが、学校ではまったく逆です。全員で同じ勉強をし、運動会では全員何らかの競技に出ろと言われ、給食係も全員で分担すべきというのが、学校の理屈です。

 ところが会社では、明らかに「全体最適で考えるべき」と指示されます。自分の営業成績や自分の部署のことだけを考えていると「身勝手、セクショナリズム」と責められ、「視野が狭い」と言われます。「全体最適を考えられる人こそ、昇進すべき人」というのが企業社会の考えです。

 会社が家庭や学校と違うのは、「組織のアウトプットの最大化」が使命であるということです。企業というのは、そもそもが個人ではなく組織の利益を増大させるための仕組みなので、個々の構成員はみんな「自分の利益よりも全体最適を考えろ」という話になるのです。

(2)価値観として“全体最適は尊い”という考え方が存在する

 企業は「アウトプット最大化のために、個の利益を犠牲にするのは合理的である」という考え方ですが、それとは別に「全体のために個を犠牲にする行為は尊い」という価値観も存在します。

 日本では、この「個々人の欲望を全体のために抑制すること」を是とする考え方や、「自己犠牲をするのはエライ!」「自己抑制をすることは美しい!」という価値観があり、「全体最適で考えないなんて身勝手である」という感覚さえ存在しているように感じます。

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