和泉さんは、自殺の相談を受けると母親のことを思い起こすという。「なぜ、死んだのか、その理由が分からない」。父親は、妻が自ら命を絶った理由を探し続けた。だが、遺書は見つからなかった。「本当に、自分の意思で死を選んでいったのだろうか。ふっと何かに引き込まれるように衝動的に死に向けて進んでいったようにも思える」
そして、自殺をする人の多くは何かに追い詰められたうえでの死なのではないか、と考えている。「苦しい状況をなんとか逃れたい。その1つが死だった。だから、誰の身にも起こりうる。それを個人の問題、つまり、自己責任としてとらえるのではなく、社会の問題として見据える。このことを伝えたくて、こういう活動をしている」
精神的に弱りながらも、死には至らないケースもある。先日、女性が相談に訪れた。上司から関係を迫られ、下着に手を入れられる行為まで受けた。和泉さんは静かな口調で怒りを込めて話す。「これは強制わいせつであり、刑事罰になりうる。しかし、女性は精神的にダメージを受けていて、もはや、会社と闘うことができない状況だった」。実際、女性が通院する病院の医師は、そのような状態ではないとして争うことを止めた。
和泉さんは、裁判の裏側も話した。「会社と裁判で争うと、女性は法廷で自分が被害を受けたと証言せざるを得ない。場合によっては(相手の)弁護士や裁判官から、事実関係について公開の法廷で根掘り葉掘り聞かれることでより深い精神的ダメージを負うことがある」。結局、女性は新しい職場に移った。
和泉さんのもとに相談に現れる人は、自殺した人の遺族にしろ、自殺を考えるほど精神的に弱り切っている人にしろ、そのほとんどは「自分が悪いと思い込んでいる」という。例えば「能力が低いから、上司から厳しい叱責を受ける。でも、仕方がない」といったものである。個人が会社と争ってまで権利を主張することに対する心理的な抵抗感もまだ根強い。
「会社はこのように“自己責任”というところに落とし込めば、自分たちに非がなく、労働者の側に問題があるという方向に話を持って行くことができると思い込んでいる。会社は経済効率を優先し、利潤を追求する組織。組織の論理として経済効率が強調されるあまり、社員の精神的健康が軽視されてしまうことは珍しい話ではない。この悪の部分は、会社組織がもつ宿命のようなもの。これに対し、何らかの歯止めが必要だと思う」
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