アニメ化は必ずしもうれしくない!?――作家とメディアミックスの微妙な関係(2/4 ページ)

» 2010年12月31日 08時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

「アニメの出来不出来=原作の出来不出来」として語られてしまう

 ライトノベル作家としては、アニメ化される機会が増えた2000年代の状況は非常にありがたいことだと思っています。「作品の人気が出れば、アニメにしてもらえるだろう」と思いながら書いている状況は事実としてあると思います。

 しかし、アニメになるかならないかというレベルまで作品が売れたところでみんな思うのが、「アニメがこけたら、僕の小説も絶対こける。どうしよう、本当にいいアニメにしてもらえるのかな」ということです。そういう恐怖を感じながら作品と向き合っていくことが必ず発生するのが、今のライトノベル作家のメディアミックスへの視点だと思います。

 一方、ライトノベル作家を目指している人たちや、若手の人たちには「どういう作品を書いたらアニメになるだろうか」と考えながら書いている人も増えていて、これはアニメ化される可能性が高くなったがゆえに発生している逆転現象かなとは思います。これがいいことか悪いことかについては所論あると思いますので、この後も触れていきます。

 現在のアニメ化に関する作家側の視点ということで、『迷い猫オーバーラン!』をアニメ化していただく上で実際に僕が考えたことや感じたことを交えながら語っていこうと思います。

 まず、「アニメ化したい」という企画書は、基本的にはプロデュースをする制作会社から出版社に提出されます。自グループ内でアニメ制作を行っている角川書店や、もとはビデオメーカーだったメディアファクトリーなどの出版社では体制は変わると思いますが、『迷い猫オーバーラン!』を出版している集英社では基本的にアニメを作りたいという会社から提案していただいて、それにどう対応していくかという手順になっています。

 いただいた企画書に対して、編集部やライセンスのセクションの人が納得したものだけが原作者に回ってきます。ここで大きく分かれるのは、原作をそのままアニメにする原作準拠の企画書なのか、原作はもとにするもののアニメではオリジナル要素が強いものを作るという企画書なのかということです。これは、原作者にとって非常に重要な問題になってきます。

 今は原作準拠の方が主流なのですが、少し前までは『週刊少年ジャンプ』原作のアニメであっても、原作通りにはやらないということが普通でした。僕はゲームやアニメのシナリオライターを長くやってからライトノベル作家になっているので、そちら側の観点がどうしても入ってしまうのですが、「アニメにはアニメの文法があるのだからそれに合わせるべきだ」というのが、僕が業界に入って最初に習ったアニメの作り方です。

京都アニメーションが制作したアニメ『けいおん!』

 一方、作家の立場からすると、メディアミックスによって得られる金銭的な対価はさほど関心の中心にはならなくて、多くの場合は自分の作品をどういう風に伸ばしてくれるか、大事にしてくれるか、楽しく面白く作ってくれるかというところが企画書を見る時の主眼となります。そのため、制作会社や監督、スタッフや声優、放送枠など、実際にどのような形で作ってくれるのかというのが、原作者側からするとものすごく気になるわけです。

 だから、企画書に「制作会社:京都アニメーション※」と書いてあったら、多分ほとんどの原作者は「オッケー」とハンコを付いて返すと思います(笑)。でも現実には、そんなことはなかなかないわけです。企画書に書いてある制作会社やスタッフがどのように作ってくれるかというのは、過去の作品を見たり、ネットで調べたりしてもまったく分からないので、結果的には精査していただく編集部の方を信じてお任せする以外にはないのですが、いろいろ言いたくはなるという状況がだいたいあります。

※京都アニメーション……アニメ制作会社で、『涼宮ハルヒの憂鬱』『らき☆すた』『けいおん!』などの人気作を手がけた。

 その理由というのは現状、原作準拠のアニメが主流になってしまっているので、アニメがヒットするかどうかという点で、原作にも責任が発生してしまうんですね。制作者側から「お前の原作のせいで売れなかった」と言われることは多分ないと思うのですが、視聴者側からは「あの人たちがアニメを作ったのに、原作がダメだったから売れなかった」という話になりやすいです。

 ネットの普及によって個人の意見を公に発表しやすくなっていることで、「視聴者=批評家」となり、それが原作者の目に触れてしまう状況になっています。そこで、マスの意見として「あの作品は成功(もしくは失敗)だった」と語られてしまうという部分が、原作者にとってプレッシャーになるわけです。

 小説の内容の出来不出来については自分で責任を負えるのですが、アニメの出来不出来については基本的に責任を負えないわけです。責任を負えないのに、「アニメの出来不出来=原作の出来不出来」として語られてしまうので、アニメの完成度は作家にとっての死活問題にもなりうる状況が今あると考えています。

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