「創業は1566年です。近江出身の初代は、蚊帳や畳表を販売する家業を起こし、1615年に江戸・日本橋に店を出しました。画期的だったのは7代目で、新興商人たちが力を増し古くからの商人が没落していく経済環境の中で積立金制度を編み出したのです。「普請金(再建費用)」「仏事金」「用意金(本家の不慮の出費対応)」の3つの積立金を用意し、これを運用して着実に利益をあげて経営を安定させました。
江戸時代は火災や天変地異などが多くありましたが、災害時にいち早く商品を供給できたのも積立金があったからですし、それに何より社会のインフラを担っているのだという使命感があったのだと思います。
また、この時代に、奉公人に対するボーナス制度(「三ツ割銀制度」という決算賞与的な一時金)を導入することで、モチベーションアップを図ったことも注目されます」
そして迎えた明治維新。それまでの価値観はひっくり返り、主要顧客だった支配階級は没落。「四民平等」の新しい環境下、「富国強兵」「殖産興業」の旗印のもと、日本全体として経済力を高めていく中、より広い顧客ターゲット層を対象にすべく始めたのが布団の製造・販売であった。蚊帳は季節商品だが、布団はオールシーズン使用されるため、これによって経営が安定するようになった。
その後の同社の布団ビジネスの歴史で最大の転機となったのは、1958年に繊維メーカーとのコラボレーションで開発した「合繊安眠デラックス綿」である。それまでのような打ち直しも不要でありながら、真綿のような感触で、神武景気、岩戸景気と続く空前の好景気を背景にヒットし、洋掛け布団ブームを起こした。
高度成長も終盤の1971年(2年後に第1次石油ショック)には、業界初となるファッション・ブランドとのコラボレーションを開始する。
「生活の洋風化が進み、布団はしまって隠すものから見えるものへと変化し、ファッション性が、寝具において付加価値として認められるようになったということです。
それにまた、買い換え需要にだけ依存するのではなく、経済の高度成長を通じて豊かさを増した人々の需要を積極的に喚起する意図もありました」
今日の同社の経営へのインパクトという点で特に重要な転機となったのは、1984年の日本睡眠科学研究所の設立だろう。時あたかも、日本に豊かな社会が到来する契機となったと評されるプラザ合意の前年であり、こうした研究所の設立は業界初であったという。
「寝具の機能を、感覚ではなくて、科学的に裏付けていこうと考えたのです。温度や湿度を始め、環境は睡眠にどんな影響をおよぼすのか、また睡眠の質によって目覚めた後のコンディションにどんな違いをもたらすのか、というように睡眠を“科学する”ことを目的としました」
1990年代以降、さまざまな分野で本物志向が日本の消費者の間に広まるが、科学的な裏づけを伴う“本物”の商品を開発するための研究は、この時点からスタートしたということになる。
時代の節目ごとに、来たるべき環境変化を読み切り、非連続・現状否定型の経営革新で、新たな成長機会を自ら創出してきた西川産業であるが、西川さんが見る、現代における「時代のキーワード」は何なのだろうか?
「キーワードは“自己投資”だと思います。ここで言う“自己”とは、自分自身はもとより、家族や地域も含みますが、そうしたものに投資する時代だということです。
ポイントは2つあります。1つ目は物質的な満足感から、美や健康の追求、社会の役に立っている満足感、自ら何かを発見する喜びへのシフト。2つ目は待っていれば与えられるという姿勢から、自分から選択して取り入れる姿勢へのシフトです。
いつまでも美しく若々しくありたい、健康でいたい、地球環境を大切にしたい、そういう価値観を持てることが賢いのだ、という思い。一見、世間の風潮に踊らされているようでいて、実は自分でそれを選択しているのだ、ということに人々が優越感を感じる時代だと考えています。
弊社としては、人々のそうした意識を、いかにして自社の商品に結び付けていくかが問われると思うんです。それゆえ、『なぜ自分に必要か』『この商品を使うことで、どんな“より良き明日”が訪れるのか』を納得してもらうためのストーリーを作ることが大切になってきます」
しかし、仮に「自分はこういう商品こそが必要だったのだ」と頭で理解したとしても、多くの生活者はそれだけで具体的な購買行動に出るというわけではないのではないか。
「その通りです。ですから、左脳的な科学的裏づけを明確にしつつも、特に入り口の部分では、顧客のニーズに密着した、女性的・右脳的な“美しい”“かわいい”といったファッション性や流行などの感性面を刺激することが大切だと考えています」
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