世界中の人から心臓音を集めたアーカイブ:瀬戸内国際芸術祭(2/4 ページ)

» 2010年10月20日 08時00分 公開
[上條桂子,エキサイトイズム]
エキサイトイズム

 ボルタンスキー氏は、主に「人の不在」や「死者へのオマージュ」「場所の記憶」「物に宿る記憶の復元」「個人の記憶の共有」などを主題とした作品作りをしている。例えば、ドクメンタ5出展の「D家のアルバム(1939-1964)」という作品では、知人から家族写真が入っている箱を借りてその中から150枚ほどをセレクトし、写真に写っている人たちの関係性を想像しながら家族の姿を再構成した。

エキサイトイズム クリスチャン・ボルタンスキー氏

 また「モニュメント」(1985)では、自分の小学校の時の同級生の写真を墓碑のように静謐に並べ直した。これはその当時の子ども時代、その瞬間の彼らはすでに死んでおり記憶の中にある。そんな「死者たち」にボルタンスキーはオマージュを捧げる。最近の作品では、「越後妻有アートトリエンナーレ2009 大地の芸術祭」において、廃校となった小学校を使った「最後の教室」が記憶に新しい。雪の中に閉ざされた閉塞感、学校という場所への思い出を大規模なインスタレーションで表現した。

 館は3つのパートに分かれる。まずは、メインの展示室だ。まずここに入ると、電光掲示板に「録音日付、採集地、名前、メッセージ」が表示されている。展示室の中に入ると、真っ暗な狭い通路の少し先の方に電球がぶら下がっている。そして「ドカッドカッドカッ……」と大音量で、世界のどこかの誰かの心臓音が展示室中に響く。その音に同期して、電球が明滅する仕掛けだ。

エキサイトイズム クリスチャン・ボルタンスキー「心臓音のアーカイブ」 写真:久家靖秀

 20メートルほどあるだろうか、真っ暗な中を通路の奥までおそるおそる歩く。奥まで行くと少しずつ目が慣れてきて周りの景色が見えてくる。壁に真っ黒なオブジェが並ぶ。これは、いまはこの場所にいない蓄積された心臓音の主であるともいえるし、この通路を通っていった人を映し出す鏡ともいえる。自分の心臓の音は走った直後とか素敵な人に会ったときなどに感じることはあるだろうが、他人の心臓の音なんて聞く機会はなかなかない。近しい人ならともかく、一度も会ったことのない他人の心臓の音なんてなおさらである。

 じっと聞いているとなかなか面白く、非常に可愛らしく「トクットクットクッ」と鳴っている人もいれば、何かの爆発音のような激しい人もいる。暗闇に入ったときには、不安が入り交じり怖くも感じるが、しばらく聞いているとなんだか落ちつくような気分にさえなる。母親の胎内の記憶が呼び覚まされているのだろうか。

エキサイトイズム クリスチャン・ボルタンスキー「心臓音のアーカイブ」 写真:久家靖秀

 世界中で収集されたアーカイブを聞くことができる視聴室(上写真)と、自分の心臓音を新たに録音できる録音室がある。ボルタンスキー氏は「私は多くの旅をしてきたが、世界で見てもこの島は最も美しい島だと思う。話を聞いたときに、作品はこの場所に作られなければならないと感じた。この場所が祈りの場になってほしいと思う。生や死といったいろいろな疑問を投げかける場に。心臓音というのは、存在よりも不在を感じる音でもある。アーティストの使命はきれいなものを作るだけではなく、問いかけをすることです」と語った。

エキサイトイズム

 ここで心臓の音を録音すると、その人が死んでも鼓動が絶えることはなく、訪れる人たちにその人の「生きていたときの証」を聞かせることができる。特定の人の鼓動を聞き思い出に浸るのもよいだろうし、見ず知らずの人の鼓動を聞き、どんな人だろうと想像を膨らませてもよい。

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