「スピンドクター」という言葉をご存じだろうか。翻訳すると「情報の専門家」といった意味だが、海外では政治や企業などあらゆるところで、当たり前のように存在している。なのに、なぜ日本でスピンドクターは活躍していないのだろうか。
この問題について、永田町で取材を続けているジャーナリスト・上杉隆氏と数々の事件を追い続けてきたノンフィクションライター・窪田順生氏が、徹底的に語り合った。Business Media 誠でしか読めない対談を全9回にわたって連載する。
1974年生まれ、学習院大学文学部卒業。在学中から、テレビ情報番組の制作に携わり、『フライデー』の取材記者として3年間活動。その後、朝日新聞、漫画誌編集長、実話誌編集長などを経て、現在はノンフィクションライターとして活躍するほか、企業の報道対策アドバイザーも務める。
『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。近著に『死体の経済学』(小学館101新書)、『スピンドクター “モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術 』(講談社α文庫)がある。
土肥(編集部) 窪田さんはこれまでいろいろな職場を経験されてきたようですね。
窪田 学生時代にテレビの情報番組の制作に携わっていました。そして大学を卒業後、テレビの製作会社に就職し、TBSの『世界ふしぎ発見!』のADとして働いてきました。
上杉 エジプトにも行かれたそうですが。
窪田 ピラミッドに行きました。やはり現地で熱射病にもなり……(笑)。ただADとして働いていくうちに「書く仕事の方が面白いかなあ」と思うようになって、たまたま講談社の『フライデー』が記者を募集していたので応募してみたんです。
土肥 『フライデー』が記者を募集していたんですか?
窪田 『フライデー』としては初めての試みだったそうです。そのときは600人ほどの応募があり、5人が就職しました。
土肥 写真週刊誌の記者として就職されたわけですが、先輩から教育などはあるのですか?
窪田 教育なんてものはありません、ゼロです(笑)。事件があれば、デスクから「現場に行ってこい!」といった世界ですね。僕がいたころには「桶川ストーカー事件」※や「東海村放射能漏れ事故」など事件や事故がたくさんあり、そのたびに現場に足を運び取材をしていました。
窪田 『フライデー』の記者として事件などを追いかけるようになったのですが、徐々に裏側の世界に興味を持つようになりまして。そして『フライデー』を辞めて、月刊誌『裏モノJAPAN 』で2年ほど働きました。この雑誌はとても品があるとはいえず、大阪池田小学児童殺傷事件を起こした宅間守の部屋にもあったというほど。内容といえば犯罪などの体験談を書くという、いわゆるサブカルチャー雑誌。
上杉 とんでもないカルチャーですね(笑)。
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